現在、東大や名古屋大が、何十年も前につくられた文書に依拠して、かろうじて軍事協力に抵抗している。このままでは大学は、安倍政権のめざす戦争ができる国の障害になっている。「大学の自治」を破壊されれば、国家の意向どおりに動く機関となり、戦争推進の装置に転化するだろう。
大正7年発布の大学令では「大学ハ国家ニ須要ナル学術ノ理論及応用ヲ教授シ並其ノ蘊奥ヲ攻究スルヲ以テ目的トシ兼テ人格ノ陶冶及国家思想ノ涵養ニ留意スヘキモノトス」とされ、大学は国家のために存在するものだった。しかし、戦後、大学令を廃し、学校教育法で「大学は、その目的を実現するための教育研究を行い、その成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする」とされた。国家に奉仕する機関から社会のための存在に変わったのだ。憲法に定められた「学問の自由」とは、もちろん学問は国家権力から自由であることをしめしている。
確かに大学人が「大学の自治」の名の下に退廃をはぐくんでいった側面があることも確かであり、一面的に称揚はできない。
しかし、「大学の自治」をまとった大学が、国家権力の暴走に抵抗する重要な拠点であることも確かだ。戦前、大学からまず社会主義者の教員が放逐され、次に滝川事件、美濃部(天皇機関説)事件などを経て自由主義者も排斥されることで大学が戦争に加担していったことは忘れてはならない。むしろ、戦争推進勢力こそが戦前に学び、大学という抵抗勢力をまずつぶしにかかっているのが現状だと言えよう。いま、大学にしかけられている攻撃は、社会の諸領域に今後生起するであろうことの先取りなのだ。
大学の自治と戦争を結び付けて語ることはあまりにも凡庸である。しかし、この自明で凡庸な論理が、特異で先鋭な論理として再浮上せざるを得なくなっているほど、事態は逼迫している。
最後に、これもまたあまりに語られすぎたニーメラーの詩を掲げよう。
ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから
そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった
(村田哲志)
最終更新:2015.01.19 04:52