“こじらせ”を量産する女子校の土壌を象徴するのが、本書にあるパンツのエピソード。風にめくられたスカートを抑える友人を叱りつけ、自分の「クッソダサイ上にクッソ安そうな毛糸のパンツ」を堂々と見せつける。「私たちは女子校の女…友達を笑わせてナンボじゃろ」「面白い女が女子校の王」というセリフが笑いに交えて織り込まれているが、ここが重要なポイント。
若さゆえに女性らしさを求められることに戸惑いながらも、男子の目がないことが反作用となり、理想の女性像で自分自身を縛りつけるようとする。しかし、男目線や女性性を受け止めることに恥ずかしさや照れが生じ、笑いに転化することでいかんともしがたい感情を発散しているのだ。現実には男目線から逃れられているのに、自分の心の中では常に男目線を意識する。その複雑すぎる心の動きが、「こじらせ女子」へと成長させていくのだろう。
決して女子校だけが「こじらせ女子」の原因ではないが、女子校出身者がこじらせやすいのは、こういった環境が作用しているという見方ができるのではないだろうか。
(江崎理生)
最終更新:2018.10.18 03:18