「被撮影者が一般人の場合とタレントの場合は、やはり『受忍限度』の基準が違うと考えていい。そのことは、裁判所でも認められている。悪質性の高い特殊な場合を除き、多くは無断撮影も許容されると私は考えています。タレントの被撮影者が嫌がっているだけでは、ただちに違法とはならない。翻って、名誉を毀損するケースであっても、社会的に事実を明らかにする必要性が高い場合は、より撮影が認められる余地があると言えます」(芳永弁護士)
最高裁の考えを確認しよう。
《他方、肖像等に顧客吸引力を有する者は、社会の耳目を集めるなどして、その肖像等を時事報道、論説、創作物等に使用されることもあるのであって、その使用を正当な表現行為等として受忍すべき場合もあるというべきである。》(ピンク・レディー事件判決文)
つまり有名なタレント等は、「受忍の限度」を考える際に、その肖像が社会的に使用されることを一般人よりも我慢せねばならない場合が多いということである。さらにこの判決に携わった裁判官のひとりは「補足意見」として以下のように述べている。
《顧客吸引力を有する著名人は、パブリシティ権が問題になることが多い芸能人やスポーツ選手に関する娯楽的な関心をも含め、様々な意味において社会の正当な関心の対象となり得る存在であって、その人物像、活動状況等の紹介、報道、論評等を不当に制約するようなことがあってはならない。》(ピンク・レディー事件判決文/裁判官金築誠志の補足意見)
「補足意見」は裁判官全体の総意である「法廷意見」よりも判例としての効力は劣るにせよ、事実としてこうした裁判官がいるということは見落とせない。すなわち、「娯楽的な関心」も「社会の正当な関心」と見なすという意見である。きゃりーのケースだと、無断撮影の事案は、まさに上で不当に制約されてはならないとされている「人物像、活動状況等の紹介」を伴う「娯楽的な関心」に該当する可能性が高い。
ところで、「社会の正当な関心」が一番重視されなければならないとされているのは、政治的な判断に関わる事項である。たとえば、政治家の収賄現場を撮影する際には、報道による社会的利益が肖像権を優先すると考えられる。政治は社会のあり方を決定付ける最も有力なファクターだからだ。
「こうした政治的マターの情報については、わかりやすい言葉では『知る権利』と呼ばれています。憲法は『表現の自由』や『報道の自由』を保障していますよね。そのなかの最も価値の高い優越的地位を『知る権利』というものが占めていると考えられている。だから、この『娯楽的な関心』というのは、特に価値の高い権利である『知る権利』には含まれないけれども、『表現の自由』や『報道の自由』の一部として保護の対象になりえます。社会的正当性は相対的に低いと言わざるをえないと思うが、裁判官もそういう関心を持ってはならないとか、関心を持つのは不当だとは言っていない。それはやはり、社会の潤滑油として、娯楽・享楽的なものも含めて、人間社会の正当な利益だと見なしているということです」(芳永弁護士)