たしかにRAAに「強制性」はなく、「違法性」もないだろう。きちんと約束された報酬も支払われていた。だからといって「問題はなかった」と済ますには、なにか釈然としない感情が残る。それには理由があろう。RAAは風俗街復興までの「つなぎ」という特殊な役割を担っていた。戦争末期、遊郭で働いていた遊女たちの多くは、看護や食堂などの一般業務に徴用され、また空襲の影響もあり、すぐに風俗街を再稼働できる状態になかった。そこで戦災で焼け出された若い女性たちをかき集めて、とりあえずの『性の防波堤』にする。これがRAAの本来の目的だった。彼女たちは「捨て駒」でもあったのだ。
筆者は生前の広岡にインタビューする機会があったのだが、その際、広岡は小町園(RAA)について、「戦時中、鬼畜米英と教育された普通の女性が、自分たちの家族を殺した相手に身をゆだねるというのは、想像を絶する苦悩があったのだと思います。メアリーもそうでしたが、RAAの慰安婦たちは、他の風俗嬢より『まっとうな生活をしてはいけない』という意識が強く、そのまま風俗業界に残る人も多かった」と語っていた。
RAA慰安婦を当時の情勢から仕方なかった、法的に問題もなかった、そう結論つけるのはたやすい。しかし、慰安婦という存在の背後に横たわっている問題はそれだけではないはずだ。RAA慰安婦を通じて、私たちは強制か否かという以前の慰安婦問題にもう一度、向き合ってみるべきではないだろうか。
(東田コウ)
最終更新:2018.10.18 05:15