『日本の黒幕』がまず、大きく取り上げているのが、前述した児玉誉士夫、中曽根康弘との問題だ。
ナベツネが盟友・中曽根とともに、児玉による九頭竜ダムの補償口利きにかかわっていたことは、児玉に口利きを依頼した緒方克行という人物が『権力の陰謀 九頭竜事件をめぐる黒い霧』という告発本で明らかにし、当時、大きな問題になった。
だが、『日本の黒幕』はナベツネと児玉、中曽根にそれ以上の関係があったことを指摘している。ナベツネは児玉とともにある出版社の乗っ取りにかかわり、自身と中曽根、児玉が株主になったうえ、ナベツネの実弟にその出版社の社長をやらせていたというのである。同書はその詳細をこう書く。
〈その出版社の名前は「弘文堂」という。もともとは明治33年創業の名門学術出版社だったが、1960年代はじめに経営危機に陥り、児玉誉士夫の一派に乗っ取られてしまう。
当時の弘文堂の新たな株主リストにはこんな名前が並んだ。
大橋富重、北海道炭礦汽船、東京スタヂアム、東日貿易、児玉誉士夫 中曽根康弘、渡邉恒雄。
筆頭株主の大橋富重は児玉や小佐野賢治とともに幾つかの経済事件にかかわり手形詐欺で東京地検に逮捕された人物。北海道炭礦汽船、東京スタヂアム、東日貿易もすべて児玉と親しいオーナーが所有していた企業だ。そして、児玉、中曽根、ナベツネの名前……。ようするに、児玉人脈一色の会社で、ナベツネは中曽根とともに株主になっていたのである。
それだけではない。当時の弘文堂には、ナベツネの実弟・渡邉昭男が代表取締役社長に就任していた。
そもそも、弘文堂乗っ取りには、ナベツネが最初から深く関わっていたとされる。ナベツネは弘文堂の前経営者と旧知の間柄で、最初の著作『派閥』も同社から出版していた。ところが、1960年ごろ、弘文堂は内紛にみまわれたうえ、経営危機に陥り、借金のかたに会社を取られそうになる。
そこで旧経営者に相談を受けたナベツネが、旧知の児玉誉士夫に依頼し、介入してきた暴力団や不動産会社を排除したのだという。
だが、その代わり、弘文堂には児玉人脈の資金が投入され、前述の面々が株主になってしまった。そして、ナベツネは児玉らと協力して前経営者を会社から追い出し、自分の弟を代表に据えるかたちで、同社の事実上の経営権を握った。
弘文堂とナベツネの間には、金の流れもあった。ナベツネは65年、千代田区番町にある豪華マンション「五番町マンション」の180平米にも及ぶ広さの部屋を購入している。登記簿によると、このマンションは、弘文堂とナベツネで共同購入するかたちとなっていた。持分は18分の10が渡邉恒雄で、18分の8が弘文堂だった。〉