しかも暗澹とさせられるのが、こうした権力者と御用マスコミが結託した「ルール」による批判封殺は、今回のジャニーズ、芸能だけではないことだ。
ジャニーズ会見でバッシングを受けている尾形氏は、今年5月のG7サミット後の岸田文雄首相の会見でも、記者クラブと官邸側がグルになった馴れ合いの茶番会見に抗議の声をあげ、計4名の質問に答えただけで会見を切り上げようとする岸田首相に「逃げるんですか」と呼びかけたことがあった。じつはこのときも、ネット上では尾形氏に対するバッシングが起こり、「言葉遣いがなっていない」「空気を読め」「非常に失礼で傲慢」などという批判が巻き起こった。
望月記者に対しても同様だ。望月記者は安倍政権下の菅義偉官房長官記者会見での厳しい質問で注目を集めるようになった記者だが、当時の菅官房長官は望月記者に対して「あなたに答える必要はありません」「ここは質問に答える場所ではない」などと職責を放棄して暴言を吐き、官邸報道室長が質問を妨害・制限を加えた上、内閣記者会に“望月記者をどうにかしろ”と恫喝をかけるような文書を提示するなど、望月記者排除の動きが加速。それと呼応するかのように、ネット上ではネトウヨによる望月記者へのバッシングがつづいた。
あらためて言うまでもなく、本来、政権や為政者が記者の自由な質問を制限することは、民主主義の国としてありえないことだ。ところが、この国ではとくに安倍政権以降、記者の政権忖度が進み、記者会見の出来レース化やそれに異を唱える記者の排除が起こってきた。そうした報道を見続けてきた結果、ニュースの受け取り側である市民までもが本来あるべき記者の責務を「礼儀を守ること」「(一方的に)設けられたルールを守ること」だと考えているのではないか。
だとすれば、今回のジャニーズ会見と記者バッシングは、安倍政権以降の歪みきった記者会見のあり様を浮き彫りにしたとも言える。そして、責任追及の場であるべき会見で記者の態度を目の敵にし、旧来のメディアコントロールを図ったジャニーズ事務所の姿勢を看過すれば、性加害をスルーしてきたメディアの責任問題はこのまま覆い隠されていくだろう。
(編集部)
最終更新:2023.10.03 07:15