あらためておさらいしておくと、憲法改正が発議されれば国民投票運動が60〜180日間にわたっておこなわれるが、現行の「国民投票法」では、新聞広告に規制はなく、テレビ・ラジオCMも投票日の15日前まで「憲法改正案に対し賛成又は反対の投票をし又はしないように勧誘する」CMを無制限に放送することが可能になっている。しかも、投票日前2週間のあいだも「賛否を勧誘」しないCMならば投票日まで放送できる。つまり、有名人が登場して「私は憲法改正に賛成です」などという意見広告は放送可能だ。
ようするに、このままでは約160億円(2022年分)というダントツの政党交付金を受け取っている自民党をはじめ、国会で多数を占める改憲派が潤沢な広告資金を抱えているため、CMを使った広報戦略では圧倒的に有利となる。そのため、2006年に参院憲法特別調査特別委員会で国民投票法が可決された際には〈テレビ・ラジオの有料広告規制については、公平性を確保するためのメディア関係者の自主的な努力を尊重するとともに、本法施行までに必要な検討を加えること〉という附帯決議がつき、メディアには「公平性の確保」が求められた。
だが、4月21日におこなわれた衆院憲法審査会の参考人質疑において、日本民間放送連盟(民放連)の永原伸専務理事は「規制ありきの議論は言論表現の自由を毀損しかねない」と主張し、テレビやラジオのCM規制に反対を表明。さらに、規制の必要性が指摘されているネット広告の問題を持ち出し、「ネット広告は、もともと玉石混交で、フェイクも混じっている」とし、ネットのフェイク広告を見抜くための材料として「テレビ、ラジオ、新聞などさまざまな情報があったほうがいい」などと言い出したのだ。
民放連がCM量の公平性を担保せず、野放図になってしまえば、憲法改正という重大事の賛否が金の力で左右されてしまうという事態に陥ることは火を見るよりあきらかだ。にもかかわらず、民放連が放送に求められる公平性の確保を「表現の自由」の問題にすり替えて拒否する──。ようするに、「表現の自由」などと言いながら、実態は自分たちの儲けを優先させようというわけだ。
実際、憲法改正の国民投票時のCMにかんして問題提起をおこなっている本間龍氏によると、衆院選や参院選といった国政選挙でメディアに流れる金は、1回の選挙で400億円程度だという(『広告が憲法を殺す日 国民投票とプロパガンダCM』集英社新書)。国民投票は国政選挙よりも運動期間が長く、そうなると国政選挙よりも数倍〜数十倍のCM広告料がテレビ局にも流れることになるのだ。まさに「特需」である。