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眞子内親王をPTSDにした“小室圭さんバッシング”の差別的本質! 竹田恒泰は“小室嫌悪”を扇動し女系天皇ツブシに悪用

 そういう意味では、小室氏と眞子内親王の結婚に際して、メディアが本来、議論しなければいけないのは、小室氏の人格や母親の金銭トラブルなどでなく、皇室制度そのものがもつ問題点だ。

 実際、この差別的な制度はいまや、日本社会における差別構造と意識の基盤となっているだけでなく、当の皇族をも苦しめている。

 皇族は「貴い存在」として特別扱いを受けている一方で、基本的人権を著しく制限され、自由意志は認められず、結婚や職業など個々人の人生の根幹に関わることすら自由に選べない状況に置かれているからだ。

 妹の佳子内親王が、2019年に大学を卒業した際に宮内記者会の質問に回答した文書コメントのなかで「結婚においては当人の気持ちが重要」「姉の一個人としての希望がかなう形になってほしい」と、「一個人」を強調するかたちで自分の意見を表明しバッシングを受けたが、それは逆にこれだけ強い言葉を口にせざるをえないくらい、皇族が「個人の自由」を抑圧されているということの表れでもあった。

 しかも眞子内親王の「一時金」問題が象徴的なように、一時金制度の存在や税金で生活してきたことを理由に、結婚に口出ししたり、阻止しようとすることまでが正当化される。

 言うまでもなく、皇室に生まれたことは本人の意思でもなんでもなく、彼らはもとより税金で生活する以外の選択肢すら与えられていないのだ。それなのに、税金と引き換えに結婚の自由が制限されるというのは、どう考えても理不尽だろう。生活保護バッシングにも言えることだが、基本的人権は税金とトレードオフされるものではない。皇族が税金で生活することがそんなに気にくわないなら、「皇室制度」そのものの見直し・廃止を議論するべきだろう。

 ところが、メディアは、皇室制度そのものの差別性や基本的人権の抑圧について問題視するどころか、むしろ差別性や皇族の人権抑圧を強化する方向に向かっている。

 たとえば今回、眞子内親王の結婚・皇籍離脱にともなう「一時金」について、誹謗中傷を理由に眞子内親王が辞退したことにより、皇室経済会議の議論すら行われず、支払わないことが決定された。しかし、この決定は眞子内親王の意思とは別に、皇族の結婚相手によって一時金が支払われたり支払われなかったりするという差別的な運用をまかり通らせることにつながりかねない。

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