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松本人志、太田光、カズレーザーが五輪演出問題で容姿差別ネタを守る姑息コメント! 一方、渡辺直美は堂々とルッキズム批判 


 
 それだけではない。渡辺は、容姿いじりをめぐる自身の葛藤や容姿いじりが持つ構造的な問題点についても指摘していた。

「私も、若いとき、デビューしたのは15年前だから、そのときは、それがポジティブだったと思っていたし、自分の体をポジティブに表現するということを、たぶんはき違えていた時代もあったと思うし」
「これってやりすぎじゃない?とかこれ見て傷つく人いるんじゃない?ってがんばって言えたときもあったし、言えないときもあったんだよね。自分の弱さだったりとかあったと思うんだよね」
「見た目いじりって、見た目いじりって簡単な言葉で終われないことというか。もっとそこからいろんな派生して、いろんなことがある。もっとみんなで考えていかなきゃいけない」

 そして、「容姿いじり」が完全に時代遅れであることも、はっきり宣言していた。

「いろんな時代の流れによって気づいていったりするし、そういうなかで、私はもっと違う形のポジティブな自分を表現したい、芸人としてエンターテイナーとして、この体型として、私はポジティブにいきたいなと思ったから」
「私だけじゃなくていろんな人たちが、時代とともにアップデートしていくわけじゃん」
「芸人も芸人で、何が楽しいか、何がおもしろいかっていうことをつくり上げていく。そして、こういうこと言っちゃいけないんだな、ああいうことやっちゃいけないんだなって、じゃあ今後気をつけようってなってもいいと思う」
「体型のことをどうこう言う次元じゃないですよ、もう2020年代に入りましたから。見た目の奥がわかるような人間になりたいと思う」

 渡辺の言うとおりだろう。社会に向けて作品を発表する表現者であれば、自身の様々な変化や成長によってその表現が変化するのと同じように、社会が進化し、新たな問題意識が生まれることに応じて、表現を更新させていくのは当然のことだ。

 実際、お笑い以外のアーティストたちは、価値観の変化に合わせて自分の表現をアップデートしようとしている。たとえば、福山雅治は昨年末のNHK紅白歌合戦で『家族になろうよ』を歌ったが、この曲をオファーしたNHKに対して、約10年前に発表した曲で歌詞が旧態依然としたジェンダー観・家族観であることから、それをフォローする多様な家族観・ジェンダー観を肯定する演出を求めたことを年明けにラジオで明かしていた。

 また、マンガ家の二ノ宮知子は昨年9月ドラマ『のだめカンタービレ』が再放送された際、〈これを機にのだめの原作を読む方々。この作品には数々の暴力、セクハラシーンがあるのでご注意下さい 描き始めた2001年の二ノ宮規格がもうね。。〉とツイートし、自身のかつての表現について注釈した。

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