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学術会議任命拒否 宇野重規教授が朝日の書評欄に書いた「暴君」論が「菅首相のことを書いているとしか思えない」と話題

 たしかに、ここに書かれているのは、トランプ大統領だけでなく、菅首相や安倍前首相にもそのまま当てはまることばかりだ。官僚の意見に耳を傾けることもなく「いっさい口出しするな!」などとシャットアウトし人事権を行使して意に沿わない官僚は排除する。自分たちの政権の政策に逆らった学者を法を犯してまで排除する。その無法を批判されれば、逆に「反政府だ」「スパイだ」と攻撃する──。読めば読むほど、シェイクスピアの時代から400年以上経ったこの時代に、暴君の国にいることに絶望的な気持ちになる。

 だが、宇野氏はこの書評において、たんに悲観するのではなく、こんな希望を指し示す。

〈暴君が勝利するように思える時代もある。が、最後は抑圧されても消えない人間的精神によって暴君は倒される。皆がまともさを回復する最良のチャンスは、普通の人々の政治活動にあるという結論が重い。〉

 普通の人々の政治活動こそが、暴君を終わらせる。これは、宇野教授が最近出版したばかりの著書『民主主義とは何か』(講談社現代新書)の問題意識とも通じるものである。

『民主主義とは何か』は、現在の民主主義が直面する4つの危機として、ポピュリズムの台頭、独裁的指導者の増加、AIをはじめとする技術革新、コロナを挙げ、その危機をいかに乗り越えるか、古代ギリシャから現代に至る「民主主義」2500年の歴史を振り返りながら考察する著作。

 その長い歴史において、常に試練に遭遇し、批判に晒されてきた民主主義だが、同書で宇野氏はそれでも〈民主主義には、歴史の風雪を乗り越えて発展してきた、それなりの実体がある〉とし、民主主義の本質は〈自由で平等な市民による参加〉と〈政治的権力への厳しい責任追及〉であると繰り返し書く。

 また平成における日本の政治について、一時期の例外を除けばほとんどの期間を自民党と公明党による連立政権によって運営されてきたとして、こう投げかけるのだ。

〈この期間を通じて、はたして国民の政治参加は拡大したのか、政治権力に対する責任追及が強化されたのか〉

 あとがきによれば、本書の執筆が集中的になされたのはコロナ禍の2020年2月以降だという。宇野氏が学術会議任命拒否問題について認識していたのかどうかは不明だが、安倍政権・菅政権を通じて、日本の民主主義に危機感を覚えていることは間違いないだろう。

 それでも、宇野氏は〈今後いかなる紆余曲折があるにせよ、いくつもの苦境を乗り越えて、民主主義は少しずつ前に進んでいく、そう信じて本書を終える〉と結ぶ。民主主義を漸進させるものは、市民の参加と権力への責任追及だ。

 ちなみに『民主主義とは何か』とほぼ同時期に出版されたのが、例の菅首相の『政治家の覚悟』(文春新書)だ。書店によっては2冊が並ベて売られているところもあるし、宇野氏の本が菅首相の本の売れ行きを上回っているところもある。

 菅首相は、任命拒否した6人の著作や研究について、加藤陽子教授のことしか知らないなどと自らの無教養を恥ずかしげもなく開陳していた。『鬼滅の刃』人気に便乗しているヒマがあったら、『暴君』と宇野教授の『民主主義とは何か』を読んで勉強したらどうだろうか。

最終更新:2020.11.20 09:41

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