つまり、橋下氏、松井市長、維新は必要性にさしたる根拠はないにもかかわらず「なんかでかい変化にチャレンジしたい」という自分たちの“ロマン”政治家としての“個人的野心”を実現するために、都構想をぶち上げたということだ。
しかし、その個人的な欲望に、大阪市民は巻き込まれ、分断され、さらには合計100億円もの税金がつぎ込まれたのだ。
しかも、橋下氏はそのことに対してなんの反省もない。実際、この日の『グッとラック』で、橋下氏は図々しいことに東京23区についてこんなことを言い出していた。
「東京23区制度、東京都政にもいろんな問題点あるんですよ。実はこのコロナの対応において、保健所が機能しなかったのは、東京都区制度にすごい問題あるんです。やっぱり23区は多すぎるんです。23区は再編して合併するところは合併しければいけない」
また、開票直後の深夜に放送された『報道ランナーSP 大阪都構想2度目の決着』(関西テレビ)でも、こう語っていた。
「これ以上のあのやりがいのある仕事はないですよ。だから僕は憲法改正の国民投票も、憲法改正の中身は別として、国全体でこういうことをやってみんなで考える。自分たちの一票で決めるってことを僕がやるべきだってことをずっと言ってて。憲法改正の国民投票を絶対やるべきだって言ってたんですけどね」
もし菅首相との蜜月関係にある橋下氏が国政に打って出て、閣僚、そして菅首相の後継になるなんてことがあったとしたら、「ロマン」「チャレンジ」「やりがい」として憲法改正の国民投票をやろうとするのは確実だろう。
そう考えると、メディアは橋下氏にこんなしたり顔の解説をさせている場合ではない。再びポピュリズム政治を復活させないためにも、むしろ、今回の大阪都構想否決を契機に橋下氏や維新の、この間の、税金無駄遣い、民主主義プロセス軽視、数々のデマ攻撃を、徹底的に検証・追及するべきではないのか。
(編集部)
最終更新:2020.11.07 11:16