その典型が2015年末から2016年の夏にかけて起きた炎上だろう。ある楽曲の歌詞が女性蔑視的であるとして、ファンからSNSなどを通じて異論が噴出したのだ。
こうした批判を受け、BTSの事務所はただテンプレートの謝罪を出すだけにとどまらず、騒動を受けてミソジニーへの真摯な反省を自分たちなりの言葉で発信。その誠実な対応は、多くの人々を驚かせた。「アイドル」と「ファン」の間で完璧に意見の交換が成り立っている関係性は、他のグループではなかなかつくれるものではない。
これは2018年の秋元康とのコラボ中止騒動においても同様だ。秋元康自身の女性蔑視思想と歴史修正主義者である安倍首相との親密さを問題視したファンからコラボに反対の声が上がったのだが、このときファンはインターネット上で意見を述べるばかりではなく、事務所のビルにコラボ中止を要請する付箋を貼り付けるなどの見事な非暴力抵抗行動を起こした。
同じ2018年に「原爆Tシャツ問題」でBTSが日本のネトウヨや差別主義者たちからバッシングを受け、日本の音楽番組出演キャンセルが相次いだ際も、BTSの軽率さについては諌めながらも、問題の本質を見抜き、バッシングに「NO」の声を上げていた。このときは日韓のARMYたちが励ましあったのはもちろん、世界中のファンから、バッシングと闘う日韓のARMYを励ます声が届いていた。
しかも、このときBTSファンは原爆被害者に寄付をしている。また、この騒動をきっかけに歴史を学んだというアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、ポーランド、オーストリア、インドネシアなど国境を超えた世界中のBTSのファンたちが、韓国の元慰安婦支援に寄付をしたこともあった。
ひるがえって、日本ではいまだに「音楽に政治を持ち込むな」などという言説がまかり通っている。
先ごろ、検察庁法改正案に反対の声を上げた芸能人たちに対しても、発言を封じるようなバッシングの声があふれた。逆に「知識がないから、発言しなかった」などという発言が「大人」「賢い」と讃えられる始末。
つい先日も、「新しい地図」のネット番組『7.2 新しい別の窓』(AbemaTV)に吉村洋文知事が出演することに対し、心あるSMAPファンたちが反対の声を上げたことを本サイトで紹介したところ、「本人たちが許可しているものに反対なんておかしい」などと声を上げたファンを叩くような声があった。そこにあるのは、異議申し立てに対する忌避感とともに、ファンはただアーティストを全肯定・盲信するだけの存在であるべきという受け身な意識だろう。
しかし、いまさら説明するまでもないが、政治とカルチャーは無縁ではいられない。カルチャーが社会を変えていく原動力になることがある。しかもその力は、一握りのアーティストやトップスターだけにあるわけではない。BTSファン、K-POPファンたちのムーブメントは、あらためてそのことを世界に見せてくれていると言えるだろう。
(本田コッペ)
最終更新:2020.06.12 11:38