著名人からも批判の声があがっている。映画評論家、コラムニストの町山智浩は糸井の感想についてこう批判した。
〈糸井重里さんが原発を守るために命を捧げた映画を絶賛して泣いている。糸井さんは、忌野清志郎ボスが原発や戦争を恐れた歌を「くだらない」と批判した人だ。原発を恐れるのはくだらなくて、命を捧げるのは素晴らしいのか。〉
たしかに、町山の指摘するとおり、糸井は権力批判や政治的発言を蛇蝎のように嫌ってきた。RCサクセションについてもブレイクする前から高く評価し、人気の火付け役的存在でもあったが、忌野清志郎が原発批判ソングや『君が代』のパンクバージョンなどプロテストソングを発表すると、「つまらない」と切って捨てている。
また、近年では、東日本大震災のあと、福島原発事故による放射線被ばくを恐れる声を徹底的に批判し、こんな言葉を残した。
〈ぼくは、じぶんが参考にする意見としては、「よりスキャンダラスでないほう」を選びます。「より脅かしてないほう」を選びます。「より正義を語らないほう」を選びます。「より失礼でないほう」を選びます。そして「よりユーモアのあるほう」を選びます。〉(2011年4月25日ツイート)
あるいはこんな投稿をしたことさえある。
〈そうか。犬も猫も、告発したりじぶんこそが正義だと言い募ったりしないんだ。ああ、大好きだ、あなたたち。〉(2012年10月12日ツイート)
その糸井が『Fukushima50』の「命を捧げる」描写を賞賛するのは、自己矛盾もいいところだろう。
しかも、これは無知やイノセントな感情から出てきたものではない。元中核派活動家の糸井が「命を捧げる描写」の政治性に気づいていないはずはないからだ。