実例を出しておこう。『悪魔の飽食』が出版された後、たしかに元731部隊関係者のなかには同書への“違和感”を表明する人もいた。たとえば1982年には、731部隊の元部隊員だと告白した女性が「郡司陽子」とのペンネームで『証言 七三一部隊』なる本を出している。
郡司氏は同書「まえがき」で『悪魔の飽食』を指して〈「わたしたち」が戦後三七年間、家族にも告げずに守ってきたものは、この「本」に書かれているようなことだったのだろうか〉などと記しているが、一方で「マルタ」の扱いや人体実験については、やはり731部隊員であったという「弟」の証言として、こう書き留めているのだ。
〈通称「呂の字」と呼ばれた「本部」の建物内には、「七棟八棟」という特別監獄があり、「丸太」といわれる囚人が収容されていた。
「丸太」とは、日本軍の捕虜となった八路軍(中国の共産軍)兵士やロシア人兵士、スパイ等のことで、ここでは「一本、二本」というふうに数える。つまり彼らは、すでに「死刑」を宣告された捕虜たちで、人間であっても、人間ではない。その処分は自由だから、実験のための材料として生かされてはいるが、「物」としてあつかわれているのだ。〉
〈自分が直接体験したのは、この「丸太」を使った細菌爆弾の実験と、その結果、完成された細菌爆弾等を用いた細菌戦の実戦である。〉(同書より「弟」の証言)
『証言 七三一部隊』に出てくる〈「丸太」を使った実験にも、何回か出動した〉という「弟」の証言によれば、安達の特別演習場に「マルタ」たちを連れて行き、目隠しをしたままベニヤ板を背に後ろ手に縛った。隊員たちはトラックで約150メートル後方に避難し、防毒衣やマスク着用して待機。円状にまちまちの距離で立たせられている「マルタ」たちの中心点へ爆弾を投下し、それを観察したという。
〈そこは、「丸太」の地獄だった。
「丸太」は例外なく吹き飛ばされていた。爆撃で即死した者、片腕を飛ばされた者、顔といわず身体のあちこちからおびただしい血を流している者──あたりは、苦痛の呻き声と生臭い血の匂いとで、気分が悪くなるほどだった。
そんななかで、記録班は冷静に写真や映画を撮り続けていた。爆弾の破片の分布や爆風の強度、土壌の状態を調べている隊員もいた。
自分たちもまた、てきぱきと「丸太」を収容した。あとかたづけは、実験内容の痕跡を残さないように、ていねいに行われた。
「丸太」は、死んだ者もまだ生きている者も一緒にトラックに積み込まれた。それがすむと、自分たちは全員がその場で噴霧器のようなもので消毒され、隊に戻ることになる。
部隊に戻ると、ふたたび消毒され、さらに消毒風呂、シャワーを浴びて着換え、ようやく解散となるのだった。
自分が耳にしたところでは、死んだ「丸太」も負傷した「丸太」も、それぞれ専門的に検査され、死体は消毒のあと、焼却場で焼かれるとの話だった。
こうした一連の実験が、細菌爆弾の効果測定のためであることは、疑いの余地はないと思う。「口外無用」と命令されていたことや防毒衣、防毒マスクの着用、身体の厳重な消毒など、すべてのことが、それを物語っているからだ。さらに、この実験では、爆弾の効果をいかにして水平に拡大するかが、併せて研究されていたと思われる。〉(「弟」の証言)
先に「まえがき」を引用したように、郡司氏は『悪魔の飽食』にかんして731部隊員の「わたしたち」を「悪魔」として描いたと感じており、少なからぬ違和感を持っている。その元隊員ですら、こうした「丸太を使った人体実験」の当事者証言を生々しく記しているのだ。