父親は被曝手帳を持っているが、爆心地から離れた三次で育った坂井さんは直接の被爆者ではない。短距離で日本陸上競技連盟の五輪強化選手だったものの、代表選考では落選。世界的には「無名のランナー」が聖火リレー最終走者に選ばれたのは、表向き「フォームが綺麗だったから」。しかし、実際には誕生日が目に留まり、「日本の戦後復興と平和の象徴」とすべく白羽の矢を立てられたらしい。選出にあたっては大会組織委のなかで米国をおもんぱかる声もあがったが、『いだてん』で阿部サダヲが演じた招致の中心人物・田畑政治氏はこう記している。
「米国もソ連も中国も、原爆はやめてもらわなければならない。それを口にしないものは、世界平和に背を向けるひきょう者だ」
「選ばれたときは複雑な気持ちだった」という坂井さんだが、聖火ランナーの大役を務めて、五輪本来の理念である平和を真剣に考えた。閉会式では、各国の選手が肩を組み笑顔で歩く姿を見て「それこそが平和じゃないか」と感じたという。しかし同時に、厳しすぎる現実にも直面した。大学卒業後、坂井さんはフジテレビに入社し、記者やディレクターとして五輪に関わった。パレスチナゲリラがイスラエル選手団を殺害するという選手村襲撃事件の起きた1972年ミュンヘン大会、爆弾テロ事件で100人以上が死傷した1996年アトランタ大会も現地で取材した。坂井さんは複数のマスコミに、当時を振り返ってこう語っている。
「平和の祭典などという美しい言葉は捨てた方がいい。五輪はアマチュアの祭典でも平和の祭典でもなくなった。金もうけのための祭典じゃないか」
「アマチュアリズムの理念に立っていた五輪そのものもプロ参入による商業主義が幅を利かせ、金もうけの道具になっています」
「お金や政治に振り回される負の面も見た。純粋な平和の祭典は東京が最後だったかもしれない」
それでも、2020年東京五輪を待ち望んだ。政治や金ではない「平和の祭典」として、「もう一度、五輪の原点に立ち返らなければいけない」「世界の現実は厳しい。だからこそ、本当の平和とは何かということを、日本から改めて発信してもらいたい」という思いからだ。坂井さんは「今度は3人の孫と一緒に」と願いながら、2014年に亡くなった。
「平和の象徴」として聖火リレー最終走者に選ばれ、現実と向き合いながら、「本来の五輪」と平和を訴えてきた坂井さん。だが、安倍首相はそんな坂井さんの名前を出しておきながら、「8月6日」生まれと触れただけで、「原爆」や「核兵器」という言葉も一切使わず、酒井さんの「平和」への思いについても一切無視した。