もうひとつの問題点である「猫殺し」についても事実なのは同様だった。野口氏は1973年、父方の祖父は元軍人、父は外交官、母はギリシャからの移民でエジプト国籍という家庭に生まれた。「家庭環境は複雑だった」「少年時代は素行が悪かった」というようなエピソードは、野口氏自身が著書で繰り返し書いていることだ。
そのなかに、「猫を殺した」というものはたしかに存在した。カイロの日本人学校の小学5年生時の話だ。野口氏は仲良くなった友人3人で〈いろいろなイタズラをしていたが、僕がだんだん暴力的になってきたのは空気銃を手に入れてからだ〉と記している。
〈空き缶を標的に練習をし、うまく打てるようになると身の回りのものを撃った。内装中の家の電球、走行中の車の窓。空気銃では窓ガラスにヒビが入るだけだったが、車が急ブレーキを踏むと大喜びした。それから標的は生き物へと移った。エジプト人は鳩を食べるので、最初は鳩を撃ってそれを肉屋に売り、そのお金でまた弾を買うということをやっていた。そのうちに空気銃で猫を脅し始めた。
そして、僕は誤って猫の頭を吹き飛ばしてしまったのだ。〉(『100万回のコンチクショー』集英社、2002年出版)
このエピソードは別の自著やノンフィクション作家が書いた野口氏の評伝にも記されている。つまり、「猫殺し」は本人が認める事実である。しかも、野口氏が空気銃で撃ったのは鳩や猫だけではなかった。実名と思われる友人の名前を匿名に変えて、同書から引用を続ける。
〈何ということをしてしまったのか……。呆然としていると、一緒にいたAという友達が「何で撃ったんだよー、何で殺したんだよ!」と、僕を責め始めた。
僕は動揺し、混乱していた。僕だって撃つつもりはなかったのに、指が勝手に動いたんだ。そこにAがギャーギャー言いつのる。
「うるせー、黙らないと撃つからな」
僕は思わずそう言った。Aは「撃ってみろよ」とわめく。
僕は覚えていないが、そばにいたBによると、僕らは「撃つぞ」「撃ってみろ」と何度もわめきあっていたそうだ。僕は空気銃を下に向けていたが、だらりと下ろした銃口がAの足に触れていた。わめきあっているうちに、指に力が入った。
銃声がして、一瞬してからAが泣き叫んだ。「熱い!」「熱い!」
僕は友人の足を撃ってしまった。あわててタクシーをつかまえ病院に向かったが、この事件は学校だけではなく、カイロの日本人社会で大問題になってしまった。しょげかえっていたので、オヤジにはそれほど叱られなかったものの、僕は日本人社会で孤立した。〉(同)
もう十分だろう。野口氏の「猫殺し」は明らかな事実だった。しかも、友人のことまで撃っていたとは……。
もちろん、若い頃には誰でも「過ち」を犯すこともあるし、自己中心的な衝動に取り憑かれることもある。しかし、野口氏の問題はネットで指摘されているこうした「過去の過ち」だけではない。「児童婚」の問題についてもそうだが、いまもそのことを本気で反省しているようには見えないことだ。そして、こうした姿勢はその後の野口氏の政治行動、さらに今回のグレタさん攻撃でも見え隠れする。また、グレタさんを揶揄する裏で、野口氏自身にエネルギー産業との利害関係があることもわかった。そのへんについては、稿を改めてお伝えしよう。
(編集部)
最終更新:2019.12.15 06:56