しかも、はっきりと「5000円でできる」と明言する関係者がいない一方で、「5000円では無理だ」という証言はたくさんある。たとえば、先週発売の「週刊文春」(文藝春秋)でも、ホテルニューオータニで〈パーティーなどを担当する料飲営業部に所属経験のある現職社員〉がこう証言していた。
「会社からはこういった取材には答えるな、と言われているのですが……会費五千円はあり得ません。会場費は値下げができませんし、飲食費をディスカウントするといっても、限度がある。うちは居酒屋じゃないんです」
「スケールメリットはないんです。八百人規模ならば、通常、飲食費と会場費(今年は一番広い“鶴の間”で行われた)を含めれば、どれだけお安いメニューにして、提供する食事や飲み物の量を少なくしても、最低でも合計で一千万円はかかります」
安倍首相が言うように、出席者800人で一人あたり5000円の会費を払ったとしたら、実に600万円も足りないのである。この“不足分”は安倍側が埋めたのか、それともニューオータニ側が負担したのかが焦点になっているわけだが、産経新聞はひたすら「5000円でできるはずだ」との願望(妄想)ありきで、総理大臣の公選法違反疑惑などには全く踏み込もうとしないのだ。だったら、もう産経の社員を800人連れて「ひとり5000円でお願いします!」とニューオータニに申し込んでみたらどうか。
政権のピンチに青ざめ、必死になった産経新聞は、擁護記事ならもはや何でもアリ、というか、報道機関として当然求められるジャーナリズムを捨ててしまった。実際、全国各紙の社説を読んでも、あの読売新聞ですら政権を厳しく批判して前夜祭も含めて論じているのに、産経はどうか。11月23日までの社説「主張」では、最大の問題である前夜祭には一言も触れていない。ようするに“タブー化”しているのだ。
国民が疑っている疑惑の真相を追及できず、苦し紛れに野党をディスってみたり、デスクから「5000円でできる」なる妄想記事を書けと命じられる若手記者の心境は察するに余りあるが、産経はあくまで安倍政権と心中するつもりなのだろう。御用メディアの運命といえども、さすがに哀れである。
(編集部)
最終更新:2019.11.23 09:54