小説、マンガ、ビジネス、週刊誌…本と雑誌のニュース/リテラ

エルサ=雅子妃説まで飛び出した!『アナと雪の女王』論争振り返り エルサ=雅子皇后がありのまま生きるのはワガママか?

 また、テーマと大きく関係する楽曲「Let It Go」について4月にTwitterへ熱く持論を連投したのは、脳科学者・茂木健一郎氏だ。茂木氏は東氏らと同様に、

〈今の王女さまは、主体性を持って、自分で何でもつくってしまう。というか、はっきり言って、王子は、オプションというか、いたらいいが、いなくても別にいい〉

 と、『アナ雪』の男性不要論を唱える。だが、つづけて〈王女さまが受け身で、王子さまが助けてくれたり、いろいろやってくれるのを待つ、というのはもはや先端ではない〉とし、『アナ雪』はいまの世代の共感を呼ぶものだと解説する。

 が、茂木氏はここで話題を小保方晴子さんに移し、〈偉いおじさま方が、あたかも保身に走るかのように、すべてを小保方さんに押しつけて逃げようとしているのが、みっともない〉と、当時は徹底反論の姿勢を見せていた小保方氏と「Let It Go」の歌詞を重ね合わせる。ここまではよくわかるのだが、なぜか〈日本版では、松たか子さんが歌っているようだが、小保方さんが歌っても面白いと思う〉というのだ。いや、それは面白いというより、もっとも殺生な提案でしょうよ。

 一方、女性である写真家・蜷川実花は、『アナ雪』に共感する女性たちに疑問を投げかけ、〈幼稚園のお母さん友達がなぜあんなにハマるのか。雪の女王的私の通常の友人たちはそんなはまんないんです。やはり主婦は大変ですよ〉と主張。同じ女性でも受け取り方は違うことを示唆した。うーん、男性社会に生きるという意味では、主婦もバリキャリも関係ない気もするが……。

 このように数々の論評が飛び交ってきた『アナ雪』。そうしたなかでも、もっとも話題を集めたのは、やはり評論家・中森明夫氏の批評だろう。もともとTwitter上で中森氏の『アナ雪』解釈は関心を集めていたが、これが大きな問題に発展。というのも、中森氏に寄稿を依頼した「中央公論」(中央公論新社)が、突如、上がった原稿の掲載を拒否したのだ。

 中森氏はこの原稿をネット上で公開しているのだが、そのなかで注目されたのは〈私たちの国を代表する雪の女王〉として、雅子妃殿下の名前を挙げている点だ。

〈皇太子妃となって、職業的能力は封じられる。男子のお世継ぎを産むことばかりを期待され、好奇の視線や心ないバッシング報道にさらされた。やがて心労で閉じ籠ることになる〉〈皇太子妃が「ありのまま」生きられないような場所に、未来があるとは思えない〉

 このごく真っ当な批評が掲載拒否を食らったのは、もちろん同社の皇室タブーのせいだろう。「中央公論」といえば、そのむかし深沢七郎の小説「風流夢譚」をめぐって右翼から抗議を受け、ついには右翼団体に所属していた少年が嶋中鵬二社長宅に侵入し、夫人と家政婦を切りつけた殺傷事件、いわゆる嶋中事件が起こっている。それゆえ、菊タブーにはことのほか敏感で、少しでも物議をかもしそうな皇室記事は一切掲載しないという方針があるらしい。

関連記事

編集部おすすめ

話題の記事

人気記事ランキング

話題のキーワード

リテラをフォローする

フォローすると、タイムラインで
リテラの最新記事が確認できます。