特攻隊員の遺書を見ても「天皇陛下万歳」などの記述がでてくる。『回天』(回天刊行会、1976年)から、いくつか抜粋して引用しよう。たとえば、海軍の人間魚雷こと回天の操縦士となって23歳で訓練中に遭難殉職した兵士は、出撃中の日誌にこう記している。
〈搭乗員ハ任務ニ勇躍邁進ノ栄ヲ担フ。懐シキ大津島ヲ後ニ、七生報国ノ白鉢巻ニ日本刀ヲ腰ニ勇躍棧橋ヲ離ル。幾度カ起ル万歳ノ声、吾人ハ只感激アルノミ。今吾人ハ無雑一念只邁進ス。
大元帥陛下ノ御為ニ進ム道ハ只一条、今日ノ良キ日何故天ハ涙雨、吾等此ノ幸ヲ担ヒテ進ム。〉(1944年11月8日)
〈六尺褌ニ、搭乗服ニ身ヲ固メ、日本刀ヲブチ込ミ、七生報国ノ白鉢巻ヲ額ニ、黒木少佐ノ遺影ヲ左手ニ、右手ニハ爆薬桿、背ニハ可愛イ女ノ子ノ贈物ノフトンヲ当テ、イザ抜キ放ッタル日本刀、怒髪天ヲツキ、神州ノ曙ヲ胸ニ、大元帥陛下ノ万歳ヲ唱ヘテ、全力三十ノット、大型空母ニ体当リ。〉(1944年11月20日)
回天に乗り込んで出撃し、19歳で戦死した兵士は兄宛ての遺書にこう刻んでいる。
〈今、生等決行数日前にありて念願致し止まざるは、
天皇陛下万萬歳
大日本帝国萬歳 のみにて御座候
大日本帝国必勝を確信致し敵地に躍り込み候。生等の奮戦振りを在天の英霊も照覧し候へ。
大君の御楯となりて征かむ身の
心の内は楽しくぞある〉
これが、戦中の「天皇陛下万歳」の実態なのである。「天皇とは神国日本そのものである」という前提で、日本の兵士や国民は「万歳」を唱えて死に、また、他国の兵士や民間人を殺した。