そこで、「皇室の男系優先」が社会にもたらす女性差別の問題を追及したのが菅野氏だ。
「私がひとつ申し上げたいのは、女系・女性を認めないということが、どれだけ女性にとって苦痛か。それは玉川さんがおっしゃったように、女性が天皇になれないということだけではなくて、女性が男を産まなきゃいけないんですかって、そこを強いられることになるんですよね。側室の時代だっておそらくそれは女性にとってすごく争いもあったでしょうし、いろんなことがあったと思います。男の子を産まなきゃ認められないといったようなことを突きつけられてるんですよ。その価値観というものがたぶん国民にはなかなか受け入れられないじゃないか」
菅野氏の言う通りだろう。そもそも、女系天皇を認めない現制度では、皇室に嫁いだ女性は、後継として男子を産むことを強制される。雅子皇后の例を見てもわかるように、そのプレッシャーは本人の人格や自由意志を完全に否定するほどグロテスクなものだ。これは皇室に限った問題ではない。「後継者として男子を産め」という極めて強制的な圧力は、皇室問題を経由することで世の中に一般化・正当化されてしまう。日本社会で生活する一般の女性たちにもまた、のしかかってくるのだ。
だが、竹田氏はこの社会的な女性の苦しみ、差別を助長するという問題にまともに向き合わない。というか、ハナから頭にないようなのだ。竹田氏は「だからこそ宮家を充実させれば、どこかで生まれればいいわけで」などとトンチンカンなことを言って、菅野氏から「そういうことでは全然ないんですよ。宮家を増やしたって、それは男の子です、結局」と反論されると、半ば逆上するようにこう吐き捨てた。
「もしそれを言うならば、天皇の全否定なわけですよ。つまり特定の男性だけが天皇になるということですから。皇室そのもの、天皇というものの差別を言うならわかるんだけども、それを認めておきながら、女性差別だけ持ち込むというのはバランスがおかしい。もしこれを女性差別というならば、天皇そのものが差別の根源だと言うのと一緒に語らなければ矛盾をきたします」
なんと、竹田サン、天皇制度自体が非民主主義的かつ非人権的なシステムであり、まさに“差別の制度化”であることを、認めてしまったのである。
もちろんこれは日本の天皇制に限ったことではなく、だからこそ世界各国の王室が民主主義社会のなかで王室制度を維持していくという矛盾を糊塗するために腐心しているわけだが、竹田氏は「女性差別だけ持ち込むのはバランスがおかしい」などと非難して差別を全肯定するのだ。竹田氏は、女性差別をなくすくらいなら、天皇制度そのものをなくしたほうがいいと考えているのだろうか。
しかも竹田氏は女性・女系天皇を認めず、旧宮家の子どもを養子にしてまで「男系男子」にこだわることを、こんな失笑モノの屁理屈で正当化しようとしていた。
「よく説明されるのは伝統だとか王朝が変わるから、だから男系だ、という話がよくあるんですけど、やっぱり考え方がバラけるわけですね。自分は男系の天皇しか認めないという人もいれば、まあ女系でもいいじゃないかという人に分かれる。すると、将来、男系の血を引かない天皇が成立したときに、認める人と認めない人が分かれてしまう。これが私、一番問題だと思ってまして。日本国憲法第一条で、国民統合の象徴と書かれているにもかかわらず、認める、認めないで意見の分かれる天皇というのは避けなければいけない」