河村市長は同日、「ハフィントンポスト」のインタビューで「こんな日本人の普通の人の気持ちをハイジャックして。暴力ですよ。そんなことやる人が、なぜ表現の自由なんて言えるんですか? 恥ずかしい」と発言した。つまり、志らくとまったく同じ論法で表現の自由を曲解・矮小化し、政治圧力を正当化していたのである。
志らくや河村市長、そして安倍政権と周辺の政治家にも言えることだが、この人たちは最初から作品の理解を試みてはいない。たとえば「平和の少女像」は“反日の象徴”としてつくられていない(過去記事参照https://lite-ra.com/2017/01/post-2843.html)。また、彼らが「昭和天皇の肖像を燃やすなどけしからん」とがなりたてる大浦信行氏の映像作品「遠近を抱えて PartⅡ」についても、ネトウヨの表層的な批判を聞きかじったレベルなのは明らかだ。
「創」(創出版)10月号には、8月、「表現の不自由展・その後」の中止を受けて開かれた緊急シンポジウムでの大浦氏の語り、および篠田博之編集長によるインタビューが掲載されている。大浦氏は「単なる天皇批判」ではなく、「自分の中に湧き上がってくる自己のイメージを外へ外へと拡散させていく。一方で内側に収斂されていく天皇のイメージと、その2つを重ね合わせて自画像を作ろうと思ったのが、そもそもの動機」であり、「今回の映像の出発点にあって、天皇像が燃えるという形で完結を図った」。戦中の「慰安婦」の女性のなかに抱え込まれた「内なる天皇」を燃やすことによって「昇華」させる作業なのだという。
「戦前はみなお国のために死んでいくという考え方を吹き込まれて育ったわけじゃないですか。その一人一人の内側に抱え込まれた『内なる天皇』ですよね。それを自分の中で意識した時に『燃やす』という行為が出てくるわけです。だから『祈り』なんですね。
それは映像に出てくる特攻隊の人たちも同じだし、靖国の空に舞っている慰安婦たちも同じですよね。あの人たちも皇民化教育をうけてきたわけだから。その『内なる天皇』を見つめようということなんです」(「創」より)
作者を離れた「作品」は鑑賞者のものでもあるが、「昭和天皇の写真を燃やしている」ことだけをあげつらう人々は、作者の声に聞く耳を持とうとしない。もともと「遠近を超えてPartⅡ」は、大浦氏が1986年に富山県立近代美術館の美術展に出品した「遠近を超えて」の一部を元にしている。こちらは、昭和天皇の写真などとコラージュした版画作品だ。富山での美術展後、県議会議員がこの作品を問題視し、右翼が街宣等で圧力をかけ、図録が非公開にされた。結果、富山県は1993年に購入した作品を売却し、残っていた図録も焼却処分された。「天皇の肖像」を「燃やし」たのは、他ならぬ権力だったのだ。
いずれにしても、「表現の不自由展・その後」中止問題は、政治と狂乱が躊躇なく表現の自由を潰すことを証明した。今後も、マスメディアを通じて、立川志らくのような「政府の言うことを聞かなりなら黙れ」という圧力の扇動が垂れ流されるだろう。この美術展に限った話ではない。突き当たりにあるのは、私たちひとりひとりの表現・言論の一切が公権力に管理される閉塞的社会だ。座視してはならない。
(編集部)
最終更新:2019.10.14 12:45