しかし、どれだけ“御用学者”であるかを隠そうとしても、その本質は言葉の節々ににじみ出るものだ。事実、不自由展をめぐる連続ツイートへの反論が相次ぐと、三浦センセイは9月29日の投稿でこんな捨て台詞を吐いた。
〈まあ、助成金の全額不交付はやめた方がいいと思いますよ。あいちトリエンナーレの表現の不自由展のファンではない中間層からも弱い者いじめにみえますからね。私は方針として独立後あらゆる助成は受けないことにしていますが、地域芸術祭も大学の研究も補助金なしにはできないのでね。〉
自民党の講演会で数十万円もの高額ギャラを受け取っておいて「あらゆる助成は受けないことにしている」と胸を張る神経もどうかと思うが、「全額不交付はやめたほうがいい」と言う理由が「弱い者いじめにみえるから」って……いったい誰目線だよ。まさしく「政権の中の人」の“ご意見”ではないか。
あらためて言うが、補助金不交付が大問題なのは、「弱い者いじめに見える」からではない。文化庁が当初は採択していた補助金を、不自由展を事後的に問題視して取り消したからだ。これでは、事前に展示物をひとつ残らず申請させ、その通りにつくらなければ補助金を止めるという“事実上の検閲”が常態化し、政権を忖度した過剰な自主規制を招くだろう。しかも、こんな前例を許してしまえば、国や自治体から補助金が出るイベントならなんでも、ネトウヨに電凸や脅迫を繰り返させ炎上に追い込むことで、政治権力が「対策ができていない」などと理由付けして補助金を止めるというマッチポンプが起こされかねない。事実、検証委員会の中間報告書でも指摘されているように、政治家の扇動は確実に電凸攻撃に影響を及ぼした。
その意味においても、やはり、「表現の不自由展・その後」の中止問題を論じるうえで最も重要なのは、慰安婦問題を象徴するキム・ソギョン氏とキム・ウンソン氏の「平和の少女像」や大浦氏の「遠近を抱えて PartⅡ」、中垣氏の「時代の肖像−絶滅危惧種 idiot JAPONICA 円墳−」が、どうして右派政治家やネトウヨの攻撃対象にされたのか、ということのはずだ。
三浦センセイは「大衆とアートとの関係」「アーティスト・キュレーターと鑑賞者の壁」などと無用の補助線を引くことでポイントをずらしているが、本当の答えはずっとシンプルで、自明だ。安倍政権が強要する「偏狭な愛国主義」のムードのなかで、これらの作品が「排除すべき不都合な“反日”」とみなされたからに他ならない。
しかし、三浦氏は例の連続ツイートでもそうした社会状況をまったく問題視しないし、なんなら批評すら試みない。だから“御用学者”なのだ。
念を押しておくが、本サイトは別に、三浦氏がアートや表現の問題に無知で、ただの“御用学者”だからといって、外野がよけいなことに口をはさむな、と言うつもりはない。当然、三浦氏にも「表現の自由」があるし、どんなジャンルで言論活動をしてもらっても結構だ。
ただ、こういう“どっちもどっち”的なポーズとレトリックに騙され、無知無教養に気がつかないで有識者扱いするメディアや公的団体がいるかぎり、今後も、三浦さんの言論の底の浅さを指摘せねば「ヤバイ」とは思っている。
(小杉みすず)
最終更新:2019.10.02 01:04