靖國神社ホームページより
終戦から74年――。安倍政権下の日本では、先の戦争への反省の声は年を追うごとに少なくなり、むしろ、先の戦争を肯定するような声ばかりが大きくなっている。そして終戦記念日のきょう、安倍首相の側近である萩生田光一・幹事長代行や稲田朋美・総裁特別補佐、小泉進次郎議員をはじめとする多くの国会議員が“軍国主義の象徴”である靖国神社を参拝した。
そんななか、唖然とするような事実が判明した。昨年9月、靖国神社が、当時の明仁天皇(現・上皇)に対して、参拝を求める「行幸請願」をおこなっていたというのだ。
靖国神社は今年、神社創立150年を迎える。創立50年の1919年には大正天皇、創立100年の1969年には昭和天皇が参拝していたとして、宮内庁掌典職を通じ、明仁天皇に参拝を求めたようだ。
靖国側から直接、天皇に参拝要請するというのは前代未聞だが、報道によれば、宮内庁はこの要求を断ったという。
「掌典職は宮内庁長官や侍従職への取り次ぎ自体を拒否したと報道されていますが、実際は、宮内庁上層部に報告されていると考えて間違いない。その結果、宮内庁としてこの要請を拒否したということです」(宮内庁担当記者)
当然だろう。そもそも、明仁天皇は在位中、靖国神社を一度も参拝していないのだ。いや、明仁天皇以前に、昭和天皇も1975年の参拝を最後に、一切靖国を参拝していない。
周知のように、この背景にあるのは、1978年、靖国神社がA級戦犯合祀を強行し、昭和天皇がそのことに強い不快感をもったことだった。
そのことは、日本経済新聞が2006年7月20日付朝刊で報じた、元宮内庁長官・富田朝彦氏が遺したメモ、通称「富田メモ」にはっきりと残されている。富田メモの、合祀を強行した松平永芳宮司(第6代)に対して、昭和天皇が抱いていた怒りの言葉が記されていたのだ。
〈私は 或る時に、A級が合祀され その上 松岡、白取までもが、筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが 松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と 松平は 平和に強い考えがあったと思うのに 親の心子知らずと思っている だから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ〉
この富田メモは宮内庁が作成した『昭和天皇実録』にも明記されており、公的にオーソライズされた発言だ。そして、この昭和天皇の意思を継いで、明仁天皇も一貫して靖国参拝を拒否してきた。宮内庁が靖国の参拝要求に応じないのは当然だろう。
しかし、問題は靖国神社の行動だ。事実上“天皇の神社”としてつくられ、天皇主義者の巣窟である靖国が、天皇の意思に背いたまま、天皇に対して一方的に参拝を要求するとは……。連中が回帰しようとしている戦前の時代なら、それこそが“不敬”行為ではないか。いったいどういう神経をしているのか。
だが、靖国神社が一時、なりふりかまわず天皇参拝を実現するために、血道をあげていたのは事実だ。
象徴的なのが、昨年6月、当時の宮司である小堀邦夫氏の口から飛び出した天皇批判だ。
2018年6月、靖国神社の社務所会議室でおこなわれた「第1回教学研究委員会定例会議」で、小堀宮司がこんな発言をしたのだ。
「陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど靖国神社は遠ざかっていくんだよ。そう思わん? どこを慰霊の旅で訪れようが、そこには御霊はないだろう?」
「はっきり言えば、今上陛下は靖国神社を潰そうとしてるんだよ。わかるか?」
さらに、天皇が靖国を参拝しない現状について、こう危機感を煽っていた。
「(天皇陛下が)御在位中に一度も親拝なさらなかったら、今の皇太子さんが新帝に就かれて参拝されるか? 新しく皇后になる彼女(当時の雅子皇太子妃)は神社神道大嫌いだよ。来るか?」
「皇太子さまはそれに輪をかけてきますよ。 どういうふうになるのか僕も予測できない。少なくとも温かくなることはない。靖国さんに対して」