たとえば、“映画製作の過程に問題があった”なる主張。“否定派”は会見で、監督との「合意書」を公開したうえで、「上智大学修士課程の卒業制作と言われ、『学術研究』だと思ったから取材に応じた。全国公開するような『商業映画』だと知っていたら出演しなかった」(藤岡氏)、「交わした合意書では『映画公開前に見せてもらう』と約束していたのに監督が破った。債務不履行だ」(藤木氏)などと言い張った。ようは“監督に騙された”というのである。
しかし、現実にはどうだったか。映画製作当時、上智大学の大学院生(修士課程)だったデサキ氏は同作を卒業制作として大学に提出、出演者には「映画の出来がよければ一般公開も考えている」と伝えていたという。記者会見の場でも、「承諾書」と「合意書」を示して明確に反論した。
デザキ氏によれば、連名で抗議声明を出した“否定派”7名のうち藤木氏と藤岡氏をのぞく5名が「承諾書」に署名・捺印、藤木氏と藤岡氏は「合意書」に署名・捺印したという。この両方ともに“監督が収録した出演者の映像等は映画に関連して自由に編集して利用する”旨の記載があり、著作権も監督側に帰属することが確認されている。
さらに、連中が「騙された」と言い張っている「商業利用」に関しても、「承諾書」にはそれを認める項目があった。〈制作者またはその指定する者が、日本国内外において永久的に本映画を配給・上映または展示・公共に送信し、または、本映画の複製物(ビデオ、DVD、またはすでに知られているその他の媒体またはその後開発される媒体など)を販売・貸与すること〉とはっきりと記されていたのである。
「配給・上映」や「販売・貸与」を承諾しておきながら“一般公開するとは思わなかった”とはカマトトもいいところだ。その上で言うが、よしんば連中が「承諾書」をよく読まずにサインしてしまったとしても、卒業制作等の自主映画に、その後、配給会社がついて劇場で公開されるケースは珍しくもなんともない。「学術目的」の論文などが大学や研究機関に提出されたのち一般書として出版されるのと同じだ。つまるところ、“商業利用を認めていない”との“否定派”の主張はどう考えても後づけのいちゃもんなのである。