また、玉川徹は今回の騒動を「これ、たんに安倍応援団の人が『安倍をバカにしている』っていうふうに受け取って怒っているというだけの話ですよね。別にそれ以上でもそれ以下でもないっていう」と一刀両断した後、映画のなかでの役づくりにまで難癖をつけて、バッシングに晒す安倍応援団たちの“取り締まり”活動についての危惧を、次のように語った。
「逆にですよ、もしかしたら安倍応援団だったらこう考えるかもしれないなあってこういうことを喋ったら、こういうことを載せたら、安倍応援団は怒るかもしれないなと思って、だから忖度して自分の本当の考え、たとえば嘔吐よりも下痢のほうが自分の役者としてやるほうがいいと思ったんだというところを引っ込めてしまうほうが嫌だな」
青木も「安倍首相を揶揄するな」という批判の危険性についてこう言及した。
「仮に(インタビューで安倍首相を)バカにしたり揶揄したりしたとしてですよ、なんでこんなに批判されなくちゃいけないんだろう。むしろ政治や政治家に対する風刺というのはメディアとか芸能とかっていう世界のなかに本来あるべきものですよね。それが『安倍さんのことをバカにするのはけしからん』みたいになって、ある種、表現の幅や可能性がどんどんなくなっていっちゃうようなこと……ならないと思うんだけど、そっちのほうが怖いですよ、僕は」
実際、こうした安倍首相の批判や悪口、揶揄は一切認めないという安倍応援団やネトウヨたちの活動は、実際に実を結びつつある。メディアは電凸やスポンサーへの攻撃を恐れ、「両論併記」という名のバランス取りにばかり気を配り、権力の監視を放棄。村本をはじめとする「権力に物怖じせず発言する」芸能人たちはテレビのスタッフらから敬遠されている。こうしたなかで起こった今回の騒動は、またさらに「安倍タブー」を強化させたことは、間違いないだろう。