「子どもを産まない」国民を攻撃し、一方で高齢者に医療を受けさせるな、と主張する──。麻生財相といえば、2017年に「ヒトラーの動機は正しかった」という趣旨の暴言もあったが、実際にナチスの優生政策とそっくりな欲望を持っているということなのだろう。
しかし、最大の問題は、こうした暴言を吐きながら、この男が辞任にも追い込まれず、いまなお副総理兼財務相の座に居座りつづけていることだ。そして、暴言を吐いた為政者がその責任をとらされないことによって、その暴言は正当化されて、状況をますます悪化させている。
現に、その弊害は顕著な例となって昨年、表面化した。社会学者の古市憲寿氏は、安楽死をテーマにした小説「平成くん、さようなら」(「文學界」2018年9月号)を発表し第160回芥川賞の候補にノミネートされたが、この作品をめぐってセッティングされた落合陽一氏との対談(「文學界」2019年1月号/文藝春秋)では、ふたりから“終末期医療、とくに最後の1カ月の医療は金の無駄だ”“社会保障費削減のためにやめたほうがいい”という主張が繰り出された(詳しくは既報→古市憲寿と落合陽一「高齢者の終末医療をうち切れ」論で曝け出した差別性と無知! 背後に財務省の入れ知恵が)。
本サイトでは古市氏と落合氏の主張について、財務省の“社会保障費カット論”のペテンに丸乗りしていると批判したが、そのトップこそが麻生財務相である。そして、このような個人として当然保障されるべき生きる権利や尊厳を奪おうとする暴論が、いまやしたり顔の「自称・リアリスト」たちに支持されて、当然のように流通するようになってしまった。
その要因には、麻生氏が国民の当然の権利を奪う明白な暴言を吐いても責任をとらず、野放しになってきたことが影響しているのは間違いない。
本サイトでは何度も警鐘を鳴らしてきたが、再度言いたい。多くの国民が麻生氏の暴言に慣れすぎて「また失言か」などと見過ごすかもしれないが、暴言の責任をしっかりとらせなくては、その暴言はこの国において「認められる発言」になってしまうのである。こんな男をのさばらせつづけるのは、あまりにも異常であり、危険だ。
(編集部)
最終更新:2019.02.04 09:34