たとえば、2015年に発表された「こっちの水苦いぞ」では〈誰のための等閑な再稼働 桜島と川内断層 安全言わない原子力委員長 福島の廃炉想う〉と直接的な憤りを歌のなかに込め、また、2016年発表の「犀か象」では〈全て忘れ犀か象 五年経ったか犀か象/人の手に負えない犀か象…………地震多発も犀か象 舌の根乾き犀か象/神をも畏れない犀か象〉と、一見するとなんのことを歌っているかわからないが、声に出して読めば意味が理解できる皮肉の効いた表現でプロテストソングを歌っている。
沢田研二が自分の表現のなかにプロテストの要素を入れ始めたのは、2008年に憲法9条への祈りを込めた「我が窮状」を発表したときからだ。
〈麗しの国 日本に生まれ誇りも感じているが/忌まわしい時代に 遡るのは賢明じゃない/英霊の涙に変えて 授かった宝だ/この窮状 救うために 声なき声よ集え〉
〈我が窮状 守れないなら 真の平和ありえない〉
このとき、沢田研二は60歳。還暦を祝うコンサートを東京ドームで行うなど勢力的な活動を行っていたが、その一方で考えていたことは、還暦という大台に乗った歌手として、聴衆に発信すべきものとは何か?ということだ。
2012年3月8日付け毎日新聞のインタビューで沢田研二は「結局何が一番大事なのかとなった時、思った。売れる売れないはもう違う。やっぱり『あいつはちゃんと考えている』と思われないと応援する気にならないよな」と語っているが、そこで歌うことにしたのが「我が窮状」であり、それが後の脱原発を歌う一連の楽曲群につながっていく。
もちろん、こういった楽曲を歌うことや、脱原発に関わる運動に参加することに対し、「テレビに出られなくなるよ」などといった脅しをかけながら、ミュージシャンとしてのキャリアを自壊させかねない行為であるとして心配する声もあったという。