村上自身、『騎士団長殺し』出版直後の2017年4月2日付毎日新聞のインタビューでも「歴史というのは国にとっての集合的記憶だから、それを過去のものとして忘れたり、すり替えたりすることは非常に間違ったことだと思う。(歴史修正主義的な動きとは)闘っていかなくてはいけない。小説家にできることは限られているけれど、物語という形で闘っていくことは可能だ」と語っている。
歴史修正主義の動きと、物語という形で闘っていく――。村上自身が、ハッキリとそう宣言しているのだ。その“闘うための物語”が『騎士団長殺し』であることは、言うまでもない
また、作品を書き始める直前の2015年7月に行われた前述の川上との対談で、村上はこんなことを語っていた。
「どっちかというと最近は、右寄りの作家のほうが、物言ってるみたいだし」
「そのことに対する危機感みたいなものはもちろんある。でもかつてよく言われたような、「街に出て行動しろ、通りに出て叫べ」というようなものではなく、じゃあどういった方法をとればいいのかを、模索しているところです。メッセージがいちばんうまく届くような言葉の選び方、場所の作り方を見つけていきたいというのが、今の率直な僕の気持ちです」
(前掲『みみずくは黄昏に飛びたつ』より)
「右寄りの作家のほうが物言ってる」ような状況に対する「危機感」があり、「メッセージがいちばんうまく届くような言葉の選び方」を「見つけていきたい」。その夏、安倍政権は独裁的手法で安保法を強行成立させ日本を戦争のできる国に変え、同時に70年談話で過去の戦争責任をなかったことにした。そして、書き始められたのが、『騎士団長殺し』だ。
しかし、残念ながら日本のマスコミは、こうした村上の歴史修正主義批判をほとんど報じていない。村上の新作が出版されると夥しい数の論評や深読みがなされるのが恒例で、『騎士団長殺し』についても多くの論評が出ているが、歴史修正主義の問題について掘り下げたものはほとんどなかった。
本稿冒頭で挙げたトランプ大統領への揶揄の裏側言及じたいはたいしたものではないが、トランプ大統領や安倍首相など、世界中の極右政治家たちや彼らを支持する人々への危機感があったはずだ。
『騎士団長殺し』の英訳出版を機に、歴史修正主義との対決という側面もふまえた論評がなされ、日本でも村上春樹の真意が少しでも広まることを願いたい。
(編集部)
最終更新:2018.10.14 10:44