たしかに、この仁藤氏の懸念は理解できる。現在、高校や中学では教師による生徒へのセクハラやわいせつ行為が大きな問題になっており、そのなかで、あたかも生徒のほうが教師に対して性的な誘いをしているかのような歌詞は、それを正当化することにつながりかねないだろう。
しかも、問題は、この歌詞が、語り手である主人公の女の子の視点から歌われているように見えて、書かれている中身は少女を性的に利用しようとする大人の男の欲求であり、大人の男の目線であることだ。
それは演出にも表れている。センターを務めるのは、この曲で初めてのセンター抜擢となる16歳の小栗有以(AKB48 Team8)。人気急上昇中である高校一年生の小栗を中心に据えながら、セクシーなダンスと露出の激しい衣装でギャップを演出しようという意図がありありとうかがえる。
しかし、秋元康氏の歌詞の倫理性の欠如を指摘するのも空しくなってくる。というのも、秋元氏が女性アイドルに提供してきた歌詞でこの手のものは枚挙に暇がないからだ。
たとえば、同じAKB48の「Dear my teacher」。AKB48黎明期の楽曲で、インディーズ1枚目のシングル「桜の花びらたち」(06年リリース)のカップリングに収録されているこの楽曲は、「Teacher Teacher」と同じく教え子の少女が男性教師を誘惑する様子が歌われている。
この曲の主人公である女の子は〈何をそんなチューチョしてるの?/モラルに縛られているのね?〉と歌って教師に詰め寄り、さらに〈ねえ 絶対に 絶対に 誰にも言わないから/ねえ二人だけ パパやママにも秘密の話よ〉と誘惑。そしてさらには、〈授業じゃ教えてくれない/特別な補習をこっそり受けたいだけ/Do it BABY! Do it BABY!/ドアに鍵を掛けるだけでいい子になるから〉と、あからさまなセックスのメタファーまで登場する。
こういった傾向は、作詞家としての秋元康氏の根底にあるとも言えるのかもしれない。1985年にリリースされた、おニャン子クラブ「およしになってねTEACHER」は、発表当時の時代を勘案しても唖然とするしかない内容だ。
この曲の主人公は、あまり勉強が得意ではない女の子。〈数学なんてチンプンカンプン/まるでお手上げ/微分 積分 2次関数/絶体絶命 赤点ね〉と歌う。このままでは進級や内申点が厳しいのだろうか? そのために主人公がとったのは、〈最後の切り札は 教壇のあの人に/見える角度でスカートチラリお色気じかけ〉という行動だった。さらにこの曲の主人公は〈ピチピチの肌 見せるだけなら減りはしない〉とまで歌っている。児童買春をも「ネタ」にし正当化するような歌詞だ。