つまり村田選手は、どんな状況に置かれたとしても公平であることを貫けるか、ということを自らに問い、人間にとって「公平」というものがいかに難しいかを語った上で、それでも、国民栄誉賞は「差別」であると断言し、批判したのだ。
おそらく、村田選手は自らも大スポンサーやテレビ局が支援するスター選手であり、そうではない選手にはなかなか日が当たらないということもよく自覚しているのだろう。
たとえば、悲願のベルト獲得後の勝利者インタビューでは、フジテレビが生中継をするなかで、「みんなあんまり好きじゃないかもしれないけど、電通のみなさん、また、あんまり好きじゃないかもしれないけどフジテレビのみなさん、感謝してます」と述べていた。『夜と霧』のことも考えれば、この発言は自分自身が広告的価値のおかげで試合ができており、ある種の矛盾を抱え続けながら生きていることの吐露でもあったのではないか。
翻って、本来どんな極限状況にあっても公平でなければならないはずの行政の長たる安倍首相はどうか。極限どころか日常的にオトモダチばかりを優遇しそれを隠蔽までする「不公平」を満点下にさらし、さらに自らの不正を糊塗するためにスター選手の人気を利用しようと「不公平」に国民栄誉賞を乱発する。あまりに対照的な村田選手の思慮深さ。こうした意見をトップ・アスリートが公言すること自体、極めて貴重だろう。
いずれにしても、村田選手による「企業や政治的に広告としての価値があるかどうかで判断しているようだった」「同じスポーツ選手なのに差別されることには疑問」という批判は、見境のない政治利用に走っている安倍政権をえぐる、重たい左ボディブローと言える。きょうの試合で防衛に成功すれば次はゴロフキン戦もあると囁かれている村田選手だが、リング外でも要注目だ。
(編集部)
最終更新:2018.04.15 01:29