いずれにしても、イラク日報隠蔽は自衛隊制服組の暴走などではなく、明らかに安倍政権の閣僚をかばうための隠蔽だった。しかも、この「安倍政権のための隠蔽」は1年前に大問題になった南スーダンPKO日報のときから始まっており、この隠蔽には、それこそ安倍首相と稲田防衛相(当時)が深く関わっていた。
その南スーダンPKO日報隠蔽問題を忘れないように、もう一度おさらいしておこう。自衛隊が隠蔽していたのは、2016年7月に首都・ジュバで、大規模な戦闘が発生したときのPKO部隊の日報。ジャーナリストの布施祐仁氏による開示請求に防衛省は「日報はすでに廃棄された」としていたのだが、昨年2月から3月にかけて、統合幕僚監部や陸上自衛隊内にデータや日報が存在していることが発覚したのだ。
この間、安倍首相も稲田防衛相も「一切報告を受けていなかった」などと、今回と同じく自衛隊制服組に責任を押し付けていたが、これはまったくのウソだった。
そもそも、この隠蔽は森友文書改ざんと同じく、安倍首相と稲田防衛相の答弁や閣議決定を正当化するためにおこなわれたものだった。
布施氏による開示請求を防衛省が受理したのは昨年10月のことだが、当時の国会では、新安保法に基づく「駆け付け警護」の新任務を自衛隊に付与するかどうかで論戦が行われていた。
当然、国会では7月のジュバでの大規模戦闘が問題になり、PKO参加5原則の違反も指摘された。だが、稲田防衛相や安倍首相は「戦闘」を「衝突」と言い換えたあげく、「南スーダンは永田町より危険」(安倍首相)などとふざけた答弁を連発。結局、「状況は落ち着いている」とゴリ押しし、11月15日に駆け付け警護の任務付与を閣議決定。新任務を付与した自衛隊部隊の第一弾を新たに南スーダンへ送り出した。これが11月20日のことである。
そして前述のとおり12月2日、防衛省は「すでに破棄している」との名目で日報の不開示を決定したのだ。どう見ても“駆け付け警護”強行と安倍首相、稲田防衛相の「戦闘」否定発言と整合性をもたせるために都合の悪い情報を握りつぶしたとしか思えないものだった。実際、見つかった日報には「戦闘」の文字が生々しく刻まれていた。
しかも、稲田防衛相は明らかに隠蔽に加担していた。稲田防衛相は陸自から日報データの保管の報告を受け、防衛省の幹部会議で、そこで陸自内の日報データ保管を公表するかどうかを協議、「公表しない」ことが決定され、稲田防衛相も「了承」していた。
また、FNNが報じた防衛省幹部によるメモには、日報データ存在の報告を受け「明日なんて答えよう」「いつまでこの件を黙っておくのか…」などとうろたえる稲田防衛相のセリフが記されていた。特別防衛監察の報告ではうやむやにされたが、稲田防衛相が組織ぐるみの隠蔽に関与し、虚偽答弁をくり返していたのだ。
稲田防衛相だけでない。安倍首相も日報の存在を知りながら防衛幹部に隠蔽を指示した疑惑がささやかれている。たとえば昨年1月18日には、背広組のトップ・黒江哲郎防衛事務次官と豊田硬官房長(当時)が二人そろって官邸を訪れ、総理に面会しているが、実はこの日は、陸自で岡部俊哉陸幕長にデータが見つかったことが報告された日の翌日にあたる。さらに、陸自内の日報データの保管事実が報道された3月15日の2日後にも、やはり黒江事務次官が安倍首相と面会していた。
安倍首相は「陸自に残っていたということについて、事務次官と官房長から説明があったことはないとはっきり申し上げておきたい」と繰り返し否定したが、時期を考えると、黒江事務次官らはこの陸自データ公表を相談するために安倍首相と直接面会したと考える以外にないだろう。
しかも、安倍政権はこの南スーダンPKO問題で引責辞任させたはずの黒江事務次官を次官辞任から3カ月も経たずに国家安全保障会議(NSC)関連の新設ポスト「国家安全保障参与」に起用した。これなどはまるで、安倍首相と昭恵夫人を守るために虚偽答弁と改ざんを行った財務省理財局長の佐川宣寿氏が国税庁長官に出世したのとまったく同じ構図ではないか。