東京オリンピックの開会式および閉会式の基本プランを作成する「4式典総合プランニングチーム」のメンバーのひとりである椎名林檎は昨年7月24付朝日新聞のインタビューで「国民全員が組織員会。そう考えるのが、和を重んじる日本らしいし」「国内全メディア、全企業が、今の日本のために仲良く取り組んでくださることを切に祈っています」などと述べた。この発言は大炎上したが、戦時中の「一億火の玉」を思い起こさせるようなこれらの言葉は、東京オリンピック運営側の態度を象徴するものであろう。
そもそも、根本的な話になるが、オリンピックとはなんのために開かれるイベントなのか。
「オリンピック憲章」にある「オリンピズムの根本原則」には〈オリンピズムの目的は、人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すために、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てることである〉とある。つまり、スポーツを通じた国際的な文化交流を通じ、より平和で、より豊かな世界を築くためのものであるはずだ。
いまのところ、東京オリンピックの準備にあたって私たちの社会にもたらされているものは、大会開催を大義名分につくられた強権的な監視社会であり、金儲けのための人命軽視である。
元マラソン選手でバルセロナ、アトランタ五輪のメダリストである有森裕子氏だ。昨年6月に放送された『久米宏 ラジオなんですけど』(TBSラジオ)にゲスト出演した彼女は、オリンピックのためならどんな無理を押し通すことも許されるような現状をこのように嘆いている。
「いまのオリンピックの考え方とか、ことの進め方は、ある時点から、もちろん招致のときからあったのですが、あまりにも“オリンピックだからいいだろう”“だからいいだろう”“だからこう決めるんだよ”とあまりに横柄で。なぜこうまで偉そうになっちゃうんだろう。社会とずれる感覚を打ち立てて物事を進めている。横柄だし、雑だし傲慢」
日本のマスコミやネトウヨ層は、平昌冬季オリンピックの運営について喜々として揚げ足取りしていたが、このままでは、2年後の夏に壮大なブーメランとなって返ってくることは必定だろう。
(編集部)
最終更新:2018.04.01 12:18