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平和への思いを表現した平昌の開会式とは真逆に? 東京五輪の演出は安倍が大好きな特攻賛美映画『永遠の0』の監督

 この“脱臭することの悪質さ”という山崎作品の特徴は出世作『ALWAYS三丁目の夕日』にも共通している。

 同作は昭和30年代を徹底して「貧しくても、夢や希望に満ち溢れていた」「人と人の絆が深く、あたたかい人情に溢れていた」時代として描き、知らない若い世代に「日本の古き良き時代」として郷愁を感じさせる仕掛けになっている。

 しかし、それは昭和30年代の本当の姿ではまったくない。この時代にあった、貧富の凄まじい格差や公害、犯罪率の高さ、麻薬の蔓延、むき出しの差別……そういった負の部分を全てスルーし、ファンタジーのように描いているだけなのだ。そういう意味では、『ALWAYS 三丁目の夕日』も、『永遠の0』と同じく本質は“日本スゴイ”の愛国ポルノでしかない。

 実は、この『ALWAYS三丁目の夕日』の欺瞞性に怒り、そのアンチテーゼというべき作品をつくった人物がいる。その人物とは、先に紹介した平昌五輪の総合演出担当・梁正雄が演出した日韓共同制作の演劇『焼肉ドラゴン』の作者で、『月はどっちに出ている』『血と骨』などの映画脚本でも知られる在日韓国人の劇作家・鄭義信。そして、『ALWAYS三丁目の夕日』のアンチテーゼとして生み出されたのは、まさに、鄭と平昌五輪の総合演出担当・梁が共同演出した『焼肉ドラゴン』だった。

 鄭は『焼肉ドラゴン』を公演するにあたって、そのコンセプトをこう説明していた。

「あの時代が美化されているが、そんなに美しいものではなかった。僕は一人だけでも“裏ALWAYS”をやりたい。在日を通じて日本の一つの裏社会、歴史の断片を感じてもらえればうれしい」(東京新聞2008/04/10)
「いわば、逆『ALWAYS 三丁目の夕日』の世界。暮らしが豊かになる裏で、僕より下の4世、5世には、自身が在日という実感すら持てない環境で育った人もいる。かつてこんな文化があったことを、どうしても書き留めておきたかった」(朝日新聞2008/04/17)

 この『焼肉ドラゴン』は先日、真木よう子・井上真央・桜庭みなみ・大泉洋というキャストで、作者である鄭義信の監督で映画化されることが発表されたが、その内容は鄭のいうとおり、逆『ALWAYS 三丁目の夕日』というべき作品だ。

 舞台は、大阪万博に向け急ピッチで開発が進み始めた時代の関西の地方都市。主人公は在日韓国人集落で小さな焼肉店を営む在日韓国人の一家。しかし、集落は立ち退きを迫られてしまう。コミュニティの崩壊によって、アイデンティティを失っていく人々……。そこには、『ALWAYS 三丁目の夕日』がスルーした、そして高度成長期の日本が隠そうとした、残酷な本質が描かれている。

 しかし、こうしたアンチテーゼ的作品が生まれ、高い評価を受けたというのは、逆にいうと、『ALWAYS 三丁目の夕日』が、過去の日本をファンタジー化する過程で、いかにマイノリティを排除し、差別性を内包していたかの証明でもある。

 そう考えると、山崎貴に東京五輪の総合演出をやらせるリスクは、特攻賛美映画の監督だったという経歴だけではない。それこそ、人種や民族、文化の多様性を最も尊重しなければならないオリンピックの開会式で、新たにこういう無自覚な差別をまきちらす可能性さえあるだろう。

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