では、平手が抱える「表現の苦しみ」とはいったいなんなのか。これは、「提供された楽曲をただ単に歌うだけ」といった、操り人形としてのアイドル像から脱し、ひとりの表現者としての自覚が彼女のなかで芽生えつつあることと関係しているのではないか。そして、この自覚と彼女の現状が大きな矛盾をはらんでいることが、彼女を苦しめているのではないか。
言うまでもなく、欅坂46のすべての楽曲の歌詞は秋元康氏のペンによるものであり、そのほかのクリエイティブの面においても、恋愛禁止などプライベートな面でも、周囲の大人たちのコントロール下に置かれている。
そのシステムの範疇にいる限りにおいては、彼女の表現者としての自立にも限界がある。その相克といかに対峙していくのか。
平手自身がインタビューのなかで挙げる『サイレントマジョリティー』や『不協和音』といった欅坂46の代表的な楽曲は、大人がつくったシステムや同調圧力へのプロテストを歌ったもの。それを深く表現しようとすればするほど、自らの抱える矛盾や相克にも自覚的にもならざるを得ないだろう。
その矛盾と相克こそが、平手の抱える苦しみではないのか。そして、その「表現への苦しみ」は現在でも続いていると思われる。
年末の大型音楽特番のほぼすべてに欅坂46は出演しているが、そこでもやはり「不協和音」ではなく「風に吹かれても」を歌唱している。
しかし、それでも平手の状況は端から見ても芳しいものとは思えず、特に、今月4日に放送された『第50回日本有線大賞』(TBS)では、歌唱中にいっさい笑顔を見せずこわばった表情だったのはもちろんのこと、司会者とのトークでも終始虚脱していてお辞儀すらまともにできないといった状況が放送され、ファンから心配の声が多く漏れた。
その後、今月15日には7月21日以来久しぶりにブログを更新。しかし、その内容は〈毎日違った感情で… その日、その瞬間にみた景色、色、物、他人のしぐさ、表情 その日、その瞬間体に触れた風、物 自分に聞こえた他人の声、音〉といった文章から始まり、最後は〈生きるとは… 僕は自分に正直に生きたい〉というフレーズで締められる、日記というよりは詩のようなもので、彼女の状態を心配する声はさらに大きくなった。
前述の通り、今夜のレコード大賞では「風に吹かれても」が歌われるが、実は、明日の『第68回NHK紅白歌合戦』では、「不協和音」が歌われる予定だ。
この二日間、彼女は無事にパフォーマンスをやり遂げることができるのだろうか。
最終更新:2017.12.30 07:00