内田の見解はこうだ。
〈だが、このように「独裁制への移行」が着々と準備されていることに対して、国民の反応はきわめて鈍い。それどころか先に述べたように「独裁制で何が悪いのか?」と不思議がる人がもう少なくない。今回の選挙でも、若い有権者たちが自民党に好感を持つ傾向があることが指摘された。それは自民党が作ろうとしている独裁制社会が彼らにとって特に違和感のないものだからである。〉
なぜか。内田は〈若い人たちは「株式会社のような制度」しか経験したことがない〉からだとして比喩的に続ける。
〈トップが方針を決めて、下はそれに従う。経営方針の当否はマーケットが判定するので、従業員は経営方針について意見を求められることもなく、意見を持つ必要もない。それが、彼らが子どもの時から経験してきたすべての組織の実相である。家庭も、学校も、部活も、バイトも、就職先も、全部「そういう組織」だったのだから、彼らがそれを「自然」で「合理的」なシステムだと信じたとしても誰も責めることはできない。
構成員が民主的な討議と対話を通じて合意形成し、リーダーは仲間の中から互選され、その言動についてつねにきびしい批判にさらされている「民主的組織」などというものを今時の若い人は生まれてから一度も見たことがないのである。見たことがないのだから、彼らが「そんな空想を信じるなんて、あんたの頭はどこまで『お花畑』なんだ」と冷笑するのは当然なのである。〉
なるほど、と言いたいところだが、この見立てはいささか限定がすぎるかもしれない。実のところ、“株式会社”的組織に身を置くなかでトップダウンの感性が染み込んでいるのは、なにも「今時の若い人たち」だけではあるまい。だが、大枠としては非常に当を得ているはずである。
換言すれば、「株式会社」に代表されるような利益追及型の組織はトップダウンの指揮系統であり、そこではしばしば経営者が独裁者的に振る舞っていて、かつ、もっぱら経済的理由により個々人(構成員)の意見の有無に関わらず経営が判断される。これが「民主的組織」と言えないことは自明だが、内田が指摘するようにそのモデルが個々人に内在化されているとすると、組織(国会)のなかでの討議は煩雑とみなされ、経営者(独裁者)による「決定」の阻害要因として排除すべきとなる。