近年、マッチョ体質丸出しの保守発言がたびたび批判を浴びる松本だが、暴力や体罰をめぐる問題に関しても、これまでのパワハラ的振る舞いの弁明をするかのごとく肯定的な発言を繰り返している。
ジャズミュージシャン・日野皓正氏の体罰報道を取り扱った9月3日放送『ワイドナショー』において、松本はこんな発言をしているのだ。
「なぜいまの時代に(体罰が)ありえないのかっていう、明確な理由を誰も言ってくれないんですよ。なぜいまはダメで、昔はあの、よかったんですか? 明確な理由がわからないんですよ」
「体罰を受けて育った僕らは、別にいま、なんか変な大人になってないじゃないですか。屈折していたり。何なら普通の若者よりも常識があるわけじゃないですか。にもかかわらず、なんか体罰受けて育った僕たちは、失敗作みたいなこと言われているような気がして、どうも納得がいかないんですよね」
体罰とは、恐怖を与えることで相手に言うことをきかせるという立派な暴力である。それを教育と称して教師という大人から子どもにおこなう行為は非人道的なものであり、だから日本の教育現場において体罰は「学校教育法」で禁止されている。そのあたりの基本的な部分すら理解できていない倫理観は非常に危ういものである。
中田もコメントのなかで指摘していたが、松本の主張するような「自分たちは体罰を受けてもまともに育った」という論理こそが、いまなお体罰を再生産している。暴力を伴う指導を受けて成功をおさめたアスリートや実業家などには、そのやり方を肯定する者も多い。彼らは一方で、死にいたったり、重篤な怪我をさせられたり、心に傷を負った人の存在をはなから無視し、たまたま生き残った者の体験からだけ語っているにすぎない。
しかし、これはなにも松本だけの問題ではない。そのパワハラ的な組織の構図そのものを笑いのネタにしているたけし軍団やとんねるずなどの芸人を例に出すまでもなく、これはお笑い界全体に共通する問題である。
また、もっと言えば、それは日本社会全体に関わる問題でもある。
先日、陸上自衛隊那覇駐屯地に所属していた元自衛官の男性が、上司から「辞めろ」と言われたり、胸ぐらを掴まれてロッカーに体をぶつけられたり、頭を叩かれるなどのパワハラを受けた結果、退職を余儀なくされたとして国に対して賠償を求める訴訟を起こした件は記憶に新しい。
それは自衛隊というある程度特殊な環境のみならず、一般的な学校の教育現場でもそうだ。たとえば、今月10日、岩手県の高校でバレーボール部の顧問から受けた体罰が原因で不登校になったとして損害賠償を求めた訴訟の判決が盛岡地裁で下され、「指導として社会的正当性を欠いている」として県に20万円の支払いを命じる判決が出されている。
強い者が弱い者をいびり、それを見ている周囲も、「強きを助け、弱きをくじく」の流れでそれに加担する。今回の暴行事件を報じるワイドショーでも日馬富士の暴行を批判する一方で、貴ノ岩が先輩に失礼な発言をしたとか説教の途中にスマホをいじったなどと単なるマナー違反と命の危険も脅かす暴力行為とを同列に語り正当化しようとするコメンテーターも少なくない。
この国のいたるところでそのような光景が繰り広げられ、その傾向は年々ひどさを増している。この悲嘆すべき状況はいつまで続くのであろうか。
(編集部)
最終更新:2017.11.16 01:15