当然、義本博司高等教育局長の回答は「外部からの意向は及ばない」というものだった。
この質疑応答に何の意味があるのだろう。設置審の判断に疑問を呈する声があがっていることを受け止めるのならば、たんに設置審の議論をオープンにするべきだと訴えればいい。それもせず、ただ「意向は及ばない」と答えさせるためだけの質問ではないか。
さらに、義家議員は、加計学園問題の決定的証拠である内部文書について、こんなことを語り出した。
「個人メモや備忘録等は行政文書に含まれる性質のものではない。個人の意思、思惑、個人の主観、あるいは創作に過ぎないものが政策に影響を与えたと解されることにもなりかねないからだ」
個人の思惑、創作……。どうして一職員が大臣の発言を記したメモを意図的に創作しなければならないのかあまりに不自然すぎる話だが、義家議員はそんな個人メモでも文科省は「松野文科相のリーダーシップや安倍首相の強い指示によって」徹底調査をおこなったと主張。担当者に「調査したファイル数」などと質問した上で、こう断言した。
「あったものをなかったものにしているんじゃなくて、徹底した調査と情報公開を速やかにおこなってきた。これが現実」
まったく何を言っているのだろう。再調査は、世論の反発が大きかったために「せざるを得ない状況」に追い込まれた結果であって、それも第三者を調査に入れないという消極的なものだった。にもかかわらず、「徹底した調査と情報公開を速やかにおこなってきた」と、質疑を使ってたった5カ月前の出来事を“歴史修正”してしまうのである。
しかも、驚いたのは、このあとの義家議員の発言だ。
「恣意的に打ち替えて作成し、意図的に共有フォルダに入れられた。あるいは逆に意図的に打ち替えられたものが外部に流出させられたという疑念が払拭できない」
つまり、文科省が再調査で「存在が確認された」とする内部文書に対して、“何者かが意図的に捏造して外部に流出させたのでは”と言うのである。──もはやネトウヨや、国家戦略特区と利害関係にある安倍応援団員しか口にしない「陰謀論」を、よりにもよって文科省の前副大臣が国会で主張しはじめたのである。
このように、与党が質問時間を多く得ても、結局は自己弁護に終始し、疑惑の追及など進展するはずもないのだ。とくに、義家議員は加計学園問題において「質問に答え、疑惑を説明する立場」である。