偏見のもと、無闇やたらと締め付けを厳しくすれば、必ず反動でさらなる危険を招くことになる。風紀委員のような市民が跋扈し、実情を勘案もせずに公権力が力を示すための示威的な取り締まりを許すことは、なんとしても避けるべきだ。
この裁判の報道がなされた直後、映画評論家の町山智浩氏は、その結果について〈これはひどい〉とツイート。そんな彼に対し、〈カジュアルにタトゥーを入れて後悔するよりは、闇の住人としていきる覚悟をさせるために、完全にアングラ化させるのはいいと思う〉と一般ユーザーからリプライが飛んでいた。
町山氏はそういったアカウントに対し、〈僕が子どもの頃(昭和40年代前半)、やくざでなくても職人さん(大工さんや板前さん)には刺青を入れている人がけっこういました。別にそれが普通だったんです〉、〈闇の住人でも何でもない、近所のおじさんやお兄さんでしたよ〉と返していたが、やはり、行政や一般市民が思い描く、「入れ墨=暴力団関係者」というとくに根拠のないイメージが、この問題について議論にいたるまでの機会すら潰しているのだろう。
今回の判決はタトゥーや入れ墨を入れている人、彫り師だけの問題ではない。彫り師の弁護人らが指摘していたように、これは、“みんな”が眉をひそめる異質な存在や嫌われ者、少数者の権利や自由なんてどうでもいいという社会を認めていいのか、という問題でもある。そのツケは、いつでも形を変えて誰にでもふりかかり得る。今後も続く裁判の行方を注視したい。
(編集部)
最終更新:2017.09.29 09:46