しかも、この解散権の濫用は明らかに日本の政治状況を悪化させている。まず、首相が解散をちらつかせて野党を牽制し、与党の求心力を保とうとするため、国会議員は政局に右往左往し、つねに選挙対策に追われる。結果、長期的な視野で腰を据えた政策議論がされにくくなる。
そして、解散権を私物化した首相は、政局を第一に考え、「解散は当分ない」「解散の選択肢はない」などと国民に平気で嘘をつき、不意を衝いて解散する。その結果、政治家はもちろんメディアもパニックに陥り、国民は「何のための選挙か」を把握できないまま、選挙期間に突入する。
選挙期間に入ると、報道は「公正中立」を名目に制限され、国民の得られる情報も限定されるため、有権者は、混乱のなかでわずかな選挙期間を通じ、きわめて限定的な情報をもとに、投票という判断を迫られる。健全な民主主義には熟議が必須だが、そんなものはすべてすっ飛ばされ、政権与党による一方的なプロパガンダが趨勢を決めてしまうのだ。
そうした点を考えても、安倍首相による今回の解散が民主主義の破壊行為であることはもはや疑いようがない。いや、それどころか、歴代の首相の解散のなかでももっとも悪質と言うべきだろう。
ほんの2週間前、12日に行われた日本経済新聞のインタビューで、衆院解散について「まったく考えていない」とウソをつき、北朝鮮危機のさなかに、その危機を利用するかたちで解散。しかも、国会が要求していた臨時国会の開催にずっと応じず、ようやく開く臨時国会では所信表明演説もせず、いきなり冒頭解散をするというのだ。8月に「仕事人内閣」なる意味のわからない内閣改造をしたばかりだが、何一つ仕事もせず、「丁寧に説明する」と言いながらまったくなにも説明しないまま解散。本当にこんなことが許されていいのか。
言っておくが、この暴挙の被害を被るのは私たち国民だ。議会軽視と国民的議論の高まりの抑制(熟議の否定)を引き起こし、慌ただしい総選挙によって多数派形成(多様性の排除)に向かうという“負のサイクル”を早回しする。
だからこそ、私たち有権者は、政権が用意するだろうハリボテの争点など無視して、この際、安倍首相が解散権を私物化したあげく“大義なき解散”に出たこと自体の是非を議論し、その一点で政権にNOを突きつけるべきだ。少なくとも、首相の“私利私略”に国民がまんまと乗せられているようでは、この国の民主主義に未来はない。
(宮島みつや)
最終更新:2017.09.25 11:57