徹誠は晩年になるまで、息子である等には逮捕された当時のことを話したがらなかったという。それは、その取り調べがあまりに苛烈で屈辱的なものだったからだ。皮チョッキを着たまま水風呂に沈められたり(皮は水を含むと縮むので胸が締め付けられて最悪の場合失神する)、「柔道の稽古」と称して何人もの警官から気絶するまで投げられ続けるということもあったそうだ。
こういった人権無視の暴力的な取り調べを受けた徹誠も大変だったが、父が逮捕されてしまった等もまた大変であった。学校が終わったあと、父に代わって自分が檀家をまわったりといったこともあったし、また、父が思想犯であることをあげつらったイジメも受けた。「週刊ポスト」(小学館)2007年3月2日号には、当時受けたイジメについて語る等のこのような発言が掲載されていた。
「鬼ごっこをしていて、僕が鬼になるでしょ。すると“鬼さん、こっちこっち”って呼ぶところを“オイ共産党、共産党”ってみんなが呼ぶわけ。なんか自分のこと呼んでるなってことは分かるんだけど、“キョーサントー”なんて子供だから何のことか分からないでしょ。だから家に帰って“キョーサントーって何のこと?”ってお袋に訊いたのね。そしたら、“お前、どうしてそんなこと知ってるんだい?”って。“鬼ごっこしていて僕が鬼になったら、みんながキョーサントー、キョーサントーって呼ぶんだよ。キョーサントーって何のこと?”ってもう一度訊くと、“お金持ちはお金持ち、貧乏人は貧乏人って世の中は良くない。お金持ちも貧乏人もなく、日本全国みんなが同じくらいの収入で同じくらいの暮らしができるようになった方がいいというのが共産党っていうんだよ”と。
それを聞いた僕は、“それはいいことじゃない”って子供心に思ったわけ。それからは、“キョーサントー”とか“アカの子”とか呼ばれても何とも思わなくなったよ」