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オードリー若林が新自由主義へ疑問を抱きキューバ旅行…若林がキューバで感じた競争社会への向き合い方とは

 キューバは決して楽園のような国ではなかったが、しかし、新自由主義的な価値観にまだ絡めとられていない社会を見てきたことには大きな意味があった。社会を生きていくうえで、自分が一番大切にしたいものは何かがわかったからだ。キューバから日本へ帰る機上で若林はこのように思いを綴る。

〈上空から見ると、本当に一面灰色の街だ。死に物狂いで格差社会の勝者になって、トロフィーワイフを連れて、ラグジュアリーなパーティーをしても空しいし、エアコンのない部屋に住むのも辛いし。どっちにしろ文句をつけて、自己責任から目をそらしているだけなのかもしれない。
 新自由主義の競争は疲れるし、社会主義の平等には無理があった。でも、それは行く前から知っていたような気がする。
 では、ぼくがこの目で見たかったものって何だったんだろう? 帰りの機内で考えていた。
 マレコン通りに集まる人々の顔が脳裏に浮かんでくる。ああいう表情は、どういう気持ちの時にする顔だろう?
 この目で見たかったのは競争相手ではない人間同士が話している時の表情だったのかもしれない。〉

 若林は『社会人大学人見知り学部 卒業見込』でも、競争社会に押し潰されないための意識改革について綴っている。そのなかで彼は、「結果」でなく「過程」に重きを置くことを提唱していた。

〈結果は値がすぐに変わる。いや、下がるんだ。毎日のように現場で一緒だった芸人仲間が数ヵ月すると会わなくなる。そんなことを何度も体験した。
 ぼくは、そんなことを体験するうちに「結果」というものを唯一の社会への参加資格としていたならば、値の変動に終止一喜一憂したまま人生を送っていかなければならない。と感じた。そして、「結果」というものが楽しく生きることにおいて自分にはあまり有効なものではないように感じ始めた。
 使えない。
 ぼくは「結果」以外の基準を探そうと思った。〉

 新自由主義がはびこる日本のなかでも、とくにお笑いや芸能界の激しい競争のなかを生き残ってきた売れっ子芸能人やお笑い芸人たちは、競争や成果主義を是とし、そういった価値観に異議を訴える者のなかには、「その人が弱いから」「努力が足りないから」などとなじる者は少なくない。

 そういった芸能人たちの発言は、強い影響力をもって世間の新自由主義的価値観の強化をも促してしまっている。そんななか、いまの日本社会にはびこる価値観を疑い、過酷な競争に参加し続けることのつらさを表明する若林の視点は、我々一般人にとって非常に貴重なものだ。

 今後、中堅芸人からベテラン芸人へと芸能界における立場が変わるにつれ、彼の価値観はどのようになっていくのか。変わらずにいてくれることを切に願う。

最終更新:2017.12.06 04:55

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