そもそも普天間返還の条件は2013年に日米両政府が嘉手納基地より南にある6施設の返還・統合計画を発表した際に示されたもので、返還条件は8つある。そのひとつが滑走路の問題で、普天間飛行場の滑走路は約2700メートルである一方、辺野古はオーバーランを含めても約1800メートルしかない(琉球新報7月4日付)。だが、返還条件には、前述したように「普天間飛行場代替施設では確保されない長い滑走路を用いた活動のため、緊急時における米軍による民間施設の使用を改善する」とある。
ちなみに、沖縄で2700メートル級の滑走路を有している民間施設というのは、沖縄の玄関口である那覇空港と、パイロット訓練用として利用されてきた宮古島市下地島空港のふたつだが、米国防総省で統合計画の作成と日本政府との交渉に関わった元高官は「われわれは沖縄県内では那覇空港を想定していた」と明らかにしたという(沖縄タイムス7月8日付)。
沖縄県議会でもさっそく那覇空港の米軍使用という条件に懸念が広がり、翁長雄志知事も「(米軍には)絶対に那覇空港を使わせない」と断言した。たしかに、那覇空港が米軍に使用させるというのは、沖縄県民の玄関口が危険な軍事拠点になり、県民の移動手段が大幅に制限されるということだ。ありえない話だろう。
政府はどこまで沖縄に負担を課すつもりなのか。いや、それどころか、この稲田防衛相の答弁は、かねてより根強く囁かれてきた日米間の密約を浮き彫りにした可能性がある。それは「辺野古ができても普天間は返還しない」という密約だ。日米間ではもともと、那覇民間空港が使えないのは織り込み済みで、逆にそれを理由に、辺野古新基地が建設した後も普天間を返還しないということが決まっていた、それを稲田防衛相が今回、ポロリともらしてしまった、そういうことではないのか。
実は、今月14日に予定されていた日米安全保障協議委員会、通称「2プラス2」が延期になったのも、この稲田答弁が影響しているとの話もある。「2プラス2」は、日本からは岸田文雄外相と稲田防衛相、アメリカ側はティラーソン国務長官とマティス国防長官が出席する予定だったが、「急遽、ティラーソン国務長官に外遊日程が入ったため」という名目で延期になった。この延期の本当の理由については、「稲田防衛相は問題発言によって8月の内閣改造で更迭されることが確実のため、アメリカ側が見送ったのでは」とも言われているが、じつはもうひとつ、「普天間の返還なし」の可能性を口にしてしまった稲田氏に米国が激怒したためではないかという見方が流れているのだ。