たとえば事実として、バードは〈大きいことによって醸し出される印象を別とすれば、東京の風景には人目をひくようなものはない。実際のところ、あるのはつまらない単調さだけである〉〈はっきり言って東京にはすばらしい通りなど一つもない〉(『完訳 日本奥地紀行4』金坂清則訳/平凡社)などと、ある部分では日本の都市について辛辣な意見も述べているし、彼女の感じた朝鮮人の特性として、日本人らと比較してこうも記している。
〈知能面では、朝鮮人はスコットランドで「呑みこみが早い」といわれる天分に文字どおり恵まれている。その理解の早さと明敏さは外国人教師の進んで認めるところで、外国語をたちまち習得してしまい、清国人や日本人より流暢に、またずっと優秀なアクセントで話す。〉(前掲『朝鮮紀行』)
さらにグレブストに至ってはかなり朝鮮に共感していたようで、百田が引用した“釜山の第一印象”の文章の直後、彼が海辺の村落を抜けて市街地へ向かうと、そこは〈あらゆるものが典型的な日本〉だったとしたうえで、こう書いている。
〈生活力の強い日本の種族の帝国主義根性は、朝鮮の滅亡をほとんど既成事実化してしまった。内心そんな目的を抱きながら日本は計画的にことを運んでいた。彼らが礎を築いているのは朝鮮の改革された未来のためではなく、自分たちのためなのだ。〉((『悲劇の朝鮮』河在龍、高演義訳/白水社)
グレブストが韓国を訪れたのは大韓帝国時代の1904年末で、すでに第一次日韓協約も結ばれ、朝鮮は事実上の日本の占領状態に突入していた。その時代背景にあって、汽車を見に来た朝鮮人たちが煙に反応して騒ぎになったときの日本人の行動を、このように記述していることも見逃せない。
〈私はコンパートメントの窓からこの騒ぎを見つめていた。小人のように背の低い日本の役人らが朝鮮の子供らを情け容赦なくぞんざいに扱っている。子供たちがそんな扱いを受けるのは本当に屈辱だ。彼らは日本人さえ見れば恐がって、三十六計逃げるにしかずとばかりに逃げていく。逃げ遅れたりすると、背中に鞭が踊る。背の低い島民(日本人)たちは鞭を握って、機会さえあればいつでもその味を見せつけた。まるで、そうすることが楽しいといわんばかりに…。〉(グレブスト『悲劇の朝鮮』)
百田が、こうした朝鮮に対する好意的な記述や日本(人)に対する批判的な記述を完全にネグっているのは間違いないだろう。
もっとも、本サイトはバードやグレブストの記述をもってして、このネトウヨ作家のように、“朝鮮(人)のほうが日本(人)よりも優れていた”などと印象付けるつもりは毛頭ない。ただ、百田の引用が極めて恣意的であるという事実を述べたまでだ。そして、このように他国、他民族のネガティブな部分だけをかきあつめるのが、ヘイト本の典型的印象操作のやり方であることは、もはや言うまでもない。