いや、冗談ではなくそういうことなのだろう。実は、この日の『ワイドナショー』には松本のそうした異常な感情を象徴するようなシーンがあった。東野幸治が「少女は小出さんと出会ったころは女子高生で、現在は無職のシングルマザーということっていうのもまたなんか……」と少女の私生活を責めるようなセリフを口にし、駒井千佳子リポーターが「週刊文春」の本人のインタビューや周辺取材から「お子さんを施設に預けることになってしまって、荒れていた時期だった」と説明したときのこと。松本は、はっきりわかるように駒井の説明を鼻でせせら笑って、こう切って捨てたのだ。
「荒れてたから施設に預けたんじゃないんですかね? 順番が違うような気もしますけど」
少女が施設に子どもを預けたのは経済的な理由だといわれているが、松本はそんなことはおかまいなし。まるで、ネグレクトか虐待で子どもを施設に預けたかのように、少女を攻撃したのだ。
個別の事情を一切鑑みず、自分の要求する女性像から外れた女性のことはすべて、女性失格、母親失格とみなし、処罰感情さえもってしまう。まさに、女性蔑視、ミソジニーの典型のような思考だが、小出とのトラブルで、少女の言い分を徹底的に排撃しているのもこうした思考の延長だろう。松本はシングルマザーで夜遊びしているような17歳が男に性の道具にされるのは当然、と思っているのだ。
しかも、松本がタチが悪いのはそこに、芸能人の特権意識が加わっていることだ。その言動には「一般人の女が芸能人サマに遊んでもらって何の文句があるのか」という意識が見え隠れしている。だから、芸能人が告発されると、「なんで芸能人ばかり悪者にされるのか」と被害者意識むき出しにし、ネットの告発者叩きを「これで平等になる」と平気で歓迎してしまうのだ。
そういう意味では、松本の小出淫行問題に関する一連の発言は、御用スポーツ紙が「持論を展開」などともちあげているような高級なシロモノではない。松本は、SNSが告発者を攻撃するようになったことを「われわれタレントとかにしたら、なんかいい時代になってきた」と語っていたが、ようするに、自分たち男が女を性の道具にするという特権、タレントが人気にあかせて女性をもてあそぶという既得権益を守りたいだけなのだ。
実は松本のこうしたスタンスは小出問題にかぎらない。『ワイドナショー』での松本の発言は、政治でも、経済政策でも、社会問題でも、芸能報道でも、結局、自分が所属している側の利害を代弁しているにすぎない。芸能人の特権、金持ちの既得権益、権力者の利益を守れ、といっているだけなのである(そもそも『ワイドナショー』じたいも芸能人の目線で芸能ニュースを切るというコンセプトでスタートしおり、そういう松本のスタンスを前面に出している)。