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又吉直樹が「自分の小説の批評」について不満を吐露…メディアは「又吉タブー」に負けず『劇場』を批評できるのか?

 古舘の発言は売れ線の作家が受賞したときによく言われる定番的なもので、安易ではあるが目くじらをたてるようなものでもない。又吉に関しては、こんな程度のコメントすら炎上してしまうのだ。

 こうした風潮は文学というジャンルにとって決してプラスにはならない。せっかく多様な読み方ができるテキストが登場したのに、文学的価値についての議論を排除してしまえば、結局、ビジネス的、風俗的紹介しかできなくなる。それは、結局、作家にとっても、作品の深化、表現の進化を妨げる結果になってしまうだろう。

 実は、又吉自身も「文學界」17年3月号(文藝春秋)の『火花』騒動を振り返るインタビューでこのように話していた。

「「芸人が小説を書いた」というところはすごく取り上げていただいたんですけど、文学の世界に貢献できひんかったなっていうのは一つあるんです。ミーハーな取り扱われ方であっても、それによって本を買ってくれた人もおるし、面白い本やったと思うてくれた人もおるやろうから、そういう扱われ方が嫌やったということではないんです。でも、僕がこれまでどんな本を読んできたかということよりも、まずは「神谷みたいなやつってどうなん?」とか「徳永は神谷のこと本当はどう思ってるのかな?」とか、そういう話になると思ってたんですよね。そういう声は一切聞こえてこなかった。お笑いの賞レースやと、「優勝はあの人やったけど、今回の大会の中ではあのボケが一番面白かった」とか「笑い飯さんの両方ボケて両方ツッコむスタイルが斬新だった」とか、そういう話になりますけど、「火花」はそうならなかった」

 しかし、『火花』の批評がこのようになってしまった背景には、たとえ『火花』の内容を批判的に扱いたかったとしても、そのような文章を書くことができない「又吉タブー」の存在があるのは間違いない。

 大物作家の批判がタブー化するのは昔から連綿と続いてきた文壇の体質だが、しかし、今は、以前とは比べ物にならないくらいに、文芸批評も文学をめぐる議論も衰退している。そのうえ、又吉自身がかつての大物作家のようにふるまい、冒頭のインタビューのような「前向きな批評と前向きじゃない批評」を峻別するような態度をとれば、この文学の貧困に一層、拍車がかかることになるだろう。又吉にはそのことをぜひ、自覚してほしいと思う。

最終更新:2017.12.04 04:22

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