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又吉直樹が「自分の小説の批評」について不満を吐露…メディアは「又吉タブー」に負けず『劇場』を批評できるのか?

 思えば、又吉の作品には、「クリエイターと批評」を題材としたシーンがよく出てくる。たとえば、『火花』では、漫才師の主人公の師匠にあたる神谷が「新しい表現や発想を認めたがらない鬱陶しい年寄りの批評家が多いジャンルは衰退する」といった内容の演説をぶつシーンがあり、『劇場』でも、劇作家の主人公が公演後の打ち上げで脚本の内容について議論を吹っかけてきた知らないおじさんに皮肉を浴びせかけるシーンがある。もちろん、これらは作中の登場人物の行動であり、それが又吉本人の考えとイコールではないのだろうが、お笑いでも小説でも、ピントのずれた(と本人は感じている)批評に怒りを覚える機会が多いことと、こういったシーンが彼の作品には頻出することは無関係ではないだろう。

 しかし、又吉の作品がいつそんなひどい批評に晒されているというのか? むしろ逆だろう。アマゾンのレビューやSNSは別にして、マスコミでは又吉に対する批判を許さない、いわゆる「又吉タブー」のようなものが出来つつある。

 純文学の世界において、売り上げでいえば村上春樹との二枚看板の座に上り詰めるまでブレイクした又吉のもとには、ひっきりなしに小説、エッセイ、インタビューの依頼が舞い込み、彼のもとには編集者が列をなしている状態だ。そうなると、週刊誌はスキャンダルどころかちょっとした悪口も書くことはできない。実際、芸能人のスキャンダル記事が毎号のように賑わう週刊誌だが、又吉の芥川賞受賞以降、彼の美談しか掲載されていないのだ。

 また、こうした作家タブーという構造的な問題とは別に、又吉本人だけではなく、作品に対しても“悪く言ってはいけない”という空気が流れている。

 というのも、又吉自身の本が売れるのはもちろん、読書家の又吉はほかの小説作品もテレビや雑誌などで積極的に推薦、出版界にとってはスポークスマンの役割も進んで果たしてくれる、非常にありがたい存在となっている。たとえば、芥川賞ノミネート直前に出演した『アメトーーク!』(テレビ朝日)で又吉は、中村文則の『教団X』(集英社)を紹介。ライト層にはハードルの高い純文学にもかかわらず、『教団X』はバカ売れした。

 そんな空気がつくりだした象徴的な事件が『報道ステーション』(テレビ朝日系)で古舘伊知郎の発言が炎上した件だ。古館は番組内で『火花』を取り上げこのように発言した。

「すごいなとは思うんですけど、それとは別に芥川賞と本屋大賞の区分けがなくなった気がするんですけどね」
「芥川賞と明らかに、時代が違うといえばあれですけど、僕なんかの年代はあれ?って気もちょっとするんですけどね」

 すると、古館のこの発言に対し、ネットでは放送直後「芥川賞に対しても、本屋大賞に対しても失礼」「なんで素直におめでとうと言えないのか」「どうせ読まずに言ってるんだろ」などと非難が殺到したのだ。

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