現在の状況はまだまだ限定的なものだが、もしもこれが全国的な動きになれば、ただでさえ休刊が相次ぎ虫の息の成人誌業界は大打撃を受けることになる。というのも、現在の成人誌にとってコンビニはメインの販路だからだ。ウェブサイト「日刊SPA!」でコメントに答えている成人誌編集者はこのように語っている。
「配本数の圧倒的多数を占めるコンビニに切られたら、エロ本の部数は3分の1から4分の1まで落ちこみます。そうなれば即休刊ですよ。五輪期間中のエロ本販売規制は、この版元の立場の弱さと小売サイドの強さが利用されるでしょう。コンビニや取次の自主規制を促すのです」
行政からの規制に次ぐ規制はアダルトメディアを著しく萎縮させる。その直近の例がエロ自販機(エロ本、AV、アダルトグッズ販売の自販機)である。
いまも地方の街道沿いなどにひっそりとたたずむエロ自販機を一件一件訪ね歩き図鑑にした労作、黒沢哲哉『全国版 あの日のエロ本自販機探訪記』(双葉社)が話題だ。北は北海道から南は鹿児島まで、お世辞にも交通アクセスが良いとは言えない僻地にあるエロ自販機(もうすでに稼働していないものも含む)を写真と解説付きで網羅した本書だが、そのなかにエロ自販機業者のインタビューが掲載されており、そこで語られる規制の歴史を読むと、これから先に成人誌が歩むかもしれない未来が重なって見えるようである。
一般的には自販機本・ビニ本のブームが終わりAVが台頭し始めた1980年代後半にエロ自販機も姿を消したと思われがちだが、実はそうではない。その後、エロ自販機は高速道路のインターチェンジ近くの空き地や、国道と県道の分岐点などに活躍の場を移す。そして、数台のエロ自販機を収納したプレハブ小屋が日本各地に建てられるようになる。売られる商品はエロ本だけではなく、AVやアダルトグッズにまで手を広げるようになった。
こうした方向転換により、1990年代に入るころから2002年ごろまでエロ自販機にとって景気の良い時代が続き、本書で取材に応えている自販機会社の人の証言によると、そのころは1台の売り上げが月60万円ほどあり、給料は手取りで600万円ほどもあったという。
しかし、だんだんとその状況を行政も看過できないようになっていく。1990年代後半には全国各地でエロ自販機を規制する条例が生まれ始め、業界も自主規制に動く。そして、行政による規制と業界のいたちごっこが始まった。