この吉野議員の発言通り、楢葉町の早期解除が先鞭を付け、今春には一部の帰還困難区域を除き9市町村で避難が解除された。しかし、解除されたなかには除染も進んでおらずいまだ高い数値を示す場所もあり、実際は帰還できるほど安全な状況になっていない地域も多い。にもかかわらず、国は年間線量が20ミリシーベルト以下になったことを根拠にこれらの地域から避難指示を解除したのだ。言っておくがこれは通常の被曝限度である年間1ミリシーベルトの、実に約20倍の数値だ。
吉野議員は2013年、当選を果たした中国地方の地元紙で、こう語っていた。
「私は原発が大好きな人間だった。好きだから良くしたいという思いで、原子力安全・保安院(当時)の経済産業省からの分離・独立を訴えてきた。それが実現できないまま事故が起きた。もう福島に原発はいらない。40年廃炉のルールを厳格に守り、新規立地は認めるべきではない」
「線量が高い地域の人々には、本当のことを言わないといけない。「ごめんね。あなたの所は帰れないよ」と。それが政治の役割だ。自民党は近々やる」(中国新聞2013年2月8日)
「原子力安全・保安院の分離・独立」を訴えながら、その後継である原子力規制委に介入する。「福島に原発はいらない」と言いながら、再稼働は推進する。
そして復興の演出のためには、線量など住民から不安の声があがる地域へも帰宅を促し、支援を打ち切っていく。──なんという二枚舌だろう。
ようするに、この大臣は原発事故の直後、責任逃れのために一時的に「原発はいらない」などと主張したが、本人の言う「原発大好き」という本質は何も変わっていなかったのである。そして、安倍政権が再稼働と避難住民の強制帰還、支援打ち切りを打ち出すと、嬉々としてその政策に乗っかっていく。
そういう意味で、吉野大臣は選挙区のことを考えて「東北で良かった」などと口にしないとしても、「棄民」大臣であることには変わりはない。
ちなみに、吉野大臣は、2003年に有事法制三法案が審議されていたとき、「自民党の部会で、小学校単位の新しい『隣組』制度をつくるという話が出た」などと言い、戦時体制時の監視組織の復活を言い出したこともある。
結局、安倍首相が閣僚に選ぶのは、こういう輩なのである。
(編集部)
最終更新:2017.12.01 04:22