また、吉野議員はこの「原子力規制に関するPT」に、「有識者」として、元原子力安全委員長の松浦祥次郎氏や再稼働を目指す「原子力国民会議」の宮健三代表理事といった「原子力ムラ」の代表メンバーを招致。このあからさまな“原発再稼働ありき”の人選には、同じ自民党の河野太郎衆院議員が「原子力ムラが跋扈するヒアリングであってはならない」と苦言を呈したほどだ。
さらに、昨年11月に吉野議員が九州電力玄海原発を視察した際には、「玄海に関しては一生懸命やっているという印象。新基準はクリアして当然だと思う」とお墨付きを与え、先日24日、佐賀県の山口祥義知事も3・4号機の再稼働に同意した。しかし、原子力規制委の判断に対しては、学識経験者らからも「事故時の住民避難を審査対象にしていない」「基準地震動の設定値に問題がある」などの疑義が呈されている。
原子力規制委への圧力と介入を強め、安倍首相を筆頭に原発再稼働に向けた動きを加速させる。いわば吉野復興相は、事故後まもない時期から電力会社を擁護し、再稼働を推進するために“尽力”してきたのである。
前述したように、吉野復興相の地元はいわき市であり、2012年の解散総選挙で比例中国ブロックに鞍替えした以外は福島5区、福島3区もしくは比例東北ブロックと東北から出馬してきた。とくに直近の総選挙で当選を果たし本来の選挙区である福島5区といえば、福島第一原発のある大熊町や双葉町をはじめ、楢葉町、富岡町、浪江町、川内村などといった原発事故によって甚大な被害を受けたエリアにあたる。
しかし、吉野議員が目を向けていたのは、被災者の暮らしではなく、復興ムードの「演出」のほうだった。たとえば、ほぼ全域が福島第一原発から20キロ圏内の楢葉町は2015年9月に避難指示が解除されたが、これは全域避難した町村で初の避難指示解除となった。この“早期解除”の決定には当然、「除染がいきとどいていないのでは」「棄民政策だ」と不安や怒りの声があがっていたが、吉野議員は毎日新聞の取材に対し、こう明言している。
「楢葉町の解除にはルールを変える政治決断が必要だった。他の自治体にとってもずるずる解除が延びるより期間を区切った方が自立につながる」(毎日新聞2016年3月8日付)