毒々しい作風からはずいぶんかけ離れた私生活を送るようになってしまったようだが、実は少し前に出版された岡村靖幸氏の対談本『岡村靖幸 結婚への道』(マガジンハウス)に登場した際にも松尾氏はこんなことを語っていた。
「僕は風俗はもう二度と行かないんです。絶対に。断じて行きません。マジです。声を張って言います。行・き・ま・せ・ん・か・ら!」
「でもね、風俗店のホームページだけは面白いからよく見るんですよ。でね、あるとき、嫁がネットで検索していて履歴でそれが出てきちゃった。「まだ行ってるの!?」ってもう激怒ですよ。「いやいや、行ってないから! 風俗嬢を頭の中で育ててるだけなの! 脳内でマネージメントしてるだけだから!」」
物事を常に斜めから切り取り、それを苦みいっぱいの物語に詰めたり、自嘲的な笑いに昇華する。そういった彼ならではの作品づくりは、いわゆる世間一般の家庭的幸せとは相性が悪いようにも思われるが、松尾氏が再婚を機に生活を一変させたのには実は理由があった。前掲書のなかで彼はこのようにも語っている。
「いままでは、思うがままにいかないのなら、せめて「型」というのを破りたいと走ってきたんです。成人式にも出てないですし、そういうものはすべて「FUCK!」だと。でも、50を過ぎて、「逆に型にはまってみよう」と思ったんです。日常のモラルにはまってみることで、頭の中の反モラルみたいなものが活気づくこともあるんじゃないかなって」
この私生活すべてを捧げた実験は、もうすでに実を結び始めているのかもしれない。先ほど述べた毎日新聞掲載の『夫のちんぽが入らない』書評で彼はこのように綴っている。
〈これを読んで想像したのは、「結婚」という名の怪我をしたか弱い生き物の姿だ。いろんな夫婦をこれまで見て来た。しかし、完璧な夫婦など出会ったことがない。夫婦に会う。そして、別れるときいつも、羨ましい夫婦だなという感情と、うちはああじゃなくてよかったという感情が、自分の中でもつれる。なんのことはない。我が結婚生活の抱える傷と、彼らの傷を照らし合わせて、こっちの傷の方が浅い、でも、数が多い、などと一喜一憂しているだけなのである。
ちんぽが入らない。字面はあくまでこっけいであるが、それだけで「夫婦」という生き物は血まみれになる。その姿は、世の中のあらゆる夫婦の痛みを肩代わりしているようで、とても痛々しい〉
一見幸せな小市民的幸せをのろけているように見せて、その裏では彼もまた結婚生活に悩み、そして、自身が結婚生活で抱えた傷を冷静に見つめている。「逆に型にはまってみよう」という思考実験の果てに松尾氏のなかで生まれた創作の種が、どんな作品に昇華されるのか楽しみだ。
(新田 樹)
最終更新:2017.11.15 07:24